仕事を休んでしまうのである。
どうにも。
通勤途中、駅まで向かういつもの道がまるで知らない、生まれて初めて通るようなそんな錯覚に陥って、いつも通り行けばいいことはわかってはいるのだけれでも、そこで一息入れて落ち着けないのが最近のおれの状態。
パニックを起こしたときのようだ。血の気が引くみたいに。なんだか真っ黒で大きな不安感に捕まってしまったような。そしてその後のこれまた救いようの無い絶望感というか。
医者からもらった薬を飲んで、少しは落ち着き始めたのだけれども、以前と比べて頻度は少ないにしてもまだまだこういう状態になってしまうことがある。
きっと薬ってのは、欠落してしまった心の大事なピースをパテ埋めするようなもんで、それは天気や湿度によってひび割れてしまうこともあれば、固まりきらないうちに何かの重みで潰れてしまうこともある、そんなギリギリの状態で、かろうじて社会を行き来できるような状態を維持するためのものだ。
自己分析をすればするほど、自分の状態を自分以外の何かのせいにしてみたり、はたまた自分ひとりの責任である可能性を考えて、これまた塞ぎこんでみたり。
自分自身が世の中のどこにも機能していないことに、今は嫌悪感すら覚えるのである。
おおぅぅぅおうえぇぇぇ。
ここ最近の日常を音で表すと、きっとこんな感じ。
おおぅぅぅおうえぇぇぇ。
一ヶ月ほど前から不眠&早朝、唐突な覚醒、そして朝イチからテンションめちゃ凹み、なんていうことを繰り返していたら、ついに先日本格的に具合が悪くなってきた。
電車に乗る直前あたりに起こる、日常じゃありえないくらいの強い動悸。吐き気。
それは数年前に一度だけ経験した事のある感覚なのだが、なんとなく今までには無いヤバさを感じたもんで、その次の日にすぐに病院へ行く。
で、パキシルという薬とハルシオン、そして動悸を抑える薬と漢方薬を数種類処方してもらう。
鬱さん、こんにちは。
とりあえずハルシオンのおかげで眠れるようにはなったのだが、いかんせんパキシルという抗鬱剤が効き始めるのがだいたい服用して10日前後かららしく、なんだか未だにひとつも救われたような気がしない。
薬を飲み始めてから一週間経つのだが、異常に朝日が眩しいし、ホームに入ってくる地下鉄のヘッドライトで気絶しそうになるし。瞳孔がガッツリ開きっ放しな感覚。
足元は、まるで白波立つ海面に立っているような感じ。
とりあえずここ2,3日は食欲もあるので、当面これ以上の体調の悪化はないだろうなぁ。なんて。
なんだか、とてつもなく大きなものに喧嘩を売ってしまったような、そんな後悔と後戻りのできないような心持ちに囚われて、覚悟を決めるにはもう少し時間が必要な気がしている。
むぅ、手ごろな武器は、ギターだけ。
ま、必要にして充分か。
なんとなく、スキンヘッドが復活。
夏の暑い日ざしを避けていた地肌が、9月半ばにもなって解放の運命になるとは。
で、剃ってみてビックリ。
ツートンカラー。アタマが。
なんとも言えない、こう、出来損ないのチョコレート菓子のような色合い。
髑髏のシャツにダメージジーンズ&このアタマで朝の満員電車に特攻んで(ぶっこんで、と読んでね)いくと、もうね、周りの人の多くが、まるでおれを路上のゲロを見るような目で見つめてくる。
いいぞ、おれ。その調子だ。
後ろ背にしている40代そこそこのサラリーマンが、車内に人が出入りするたびに軽く舌打ちをしているのだが、おれと目が合ったそのときから急に舌打ちを止めた。
おれ、怖いんだな。怖いって便利だな。喧嘩なんてちっとも強くないんだけれど、動物とか好きなんだけれど、でも見た目が怖いって、便利だな。
でも彼が舌打ちをし続けて来た何日間、何年間、何十年間の時間は、そんなれの怖さを持ってしても救えはしない。
それが、怖さの限界。見た目の限界。
所詮、見た目が怖いだけ。
人間ってのは、得てしてカッコ悪いものやダメなものに救われたりするのかもしれない。
ブルーハーツのカッコ悪さに心を震わすことの出来たかつてのおれは、正しかったのだ。
きっと、これからもずっとそうだ。
憑いて回る、悲しい気持ち。
悲しいのはきっと気のせいで、世の中的に見たら、そんなドラマがあってあぁ大変だったね、というところでお終い。
オートバイから降りたのは、二年前の同じ頃だ。
やっとのことでやり過ごした冬に、書いた歌。先日ようやく歌になった、そんな季節はずれの歌。
木枯らしの街を 今夜も小さく歩く
ぼくの事くらい ぼくが笑って見せるさ
歩道橋の上 吐き捨てられた孤独を
上手く飛び越えながら 早足で家に帰ろう
引き返すったって 一体何処に
受け流すったって 一体何を
声を出すだけで精一杯さ
誰のためも 考えちゃいないよ
凍えてしまうその前に とりあえず家に帰ろう
正しい彼らは 今夜も正しい顔で
はみ出したぼくの足を 指差して笑う
玄関の鍵を回す指が震えてらぁ
どこかで犬が 短く闇に吠える
戦えったって 一体何と
見過ごせったって 一体何を
愛するだけで精一杯さ
愛される事など 考えられないよ
凍えてしまうその前に とりあえず家に帰ろう
Hendrixと愉快な仲間たちは、海へと出かけるのです。
しかしながら、先天性の雨男という重い病を患っているおれには、旅先の雨が付き物。いや、もうここまで行くと、憑き物。。
今回も、やっぱり雨。
一週間前までは、天気予報の晴マークに「ざまぁみやがれ」と鼻を鳴らしていたものの、やっぱりね、日が経つに連れて予報はどんどん定説通りへと。。
ごめんよ愛する仲間たち。
おれは旅先の雨は慣れっこでも、君たちにとっては大事な夏の1ページなんだよな。
でもな、一応水着と釣竿は持って来い、と。
どんな時だって、ひとつやふたつのイレギュラーってのはあるもんだ。良くも悪くも、な。
雨男。
秋が深まるその前に上等な釣竿を買おうとも思うのだけれど、そんなことを思うたびにおれの背中に腰掛けた龍がわぁわぁと笑い声を上げるのです。
でもおれは買うよ、新しい釣竿。
正しい人たちは、いつでもおれを惑わすのだ。
お盆だってのに、相変わらず朝の東西線は混雑したままで、眠たい体がいっそうダメになる気がしてくる。
電車に揺られながらふと、正しいか間違っているかでまとまる話なんて、全部ニセモノなんじゃないかと思った。
ニセモノじゃないか、全部。
許せないことや、嫌いなことがある限り、それがロックンロールの原動力の大きな源になり続けるんだろうけれど、それがまったく自分の中に無くなるようなそんな生き方を選んでしまったとしたら。
はたまた、そんな世の中になってしまったら。
まるでシロアリ駆除業者のそれとまったく似たようなもので、対象がなくなった瞬間に、こちら側の存在意義も無くなってしまうという。
そんな、いわば陰と陽。偉大なる、宇宙規模の矛盾。
最近、ライブに来てくれる人たちが爆発的に増えました。
でも結局大事なのは、お客さんの人数ではなく、どんな人が、どんな気持ちでおれの歌を聴いて帰ってくれるかと言うところなのです。
おれは迷っています。いつにも増して。
どれくらい迷っているかと言えば、もうその迷いの実態がまるっきり掴めないくらい。
今年は少し、ワンマンライブに怯えてしまったりもしているのです。南無。
最近燃え上がる瞬間を逃してしまっているというか、対外的な視線が異常に冷めているというか。
職場においての、「評価をもらうコツ」というのを教えてもらった。
自分自身をも評価したことのない身分なもんで、他人から、しかも会社から評価されるという事にあまりピンとこないおれは、そんな話を口を開けながら聞いていたのだけれど。
そんな事より、好きなだけ歌える場所が欲しいな。
好きな人を好きなだけ集めて、好きな歌を好きなだけ。
世の中のカラクリにぺろりと舌を出しながら、誰のせいでもないさ、と。
誰かを褒める、という事が、誰かを卑下する、ということに繋がってしまってはならない。
言葉ってのは、自分の思う限りの感情を乗せて発するのが正しいのだけれど、体重を乗せた分だけ先っちょを丸ぁるく削り落としてやらないといかん。
ボールが角ばっていたとしたら、誰も受け取ってはくれないからなぁ。
頭を使って、手と目を使って、時間を掛けて丸く削った言葉だけを、人はやんわりと受け取る事ができるのだ。
満員の東西線。
そんなことを思いながら、大あくびをするおれだ。
久々に弾いてみたりする。
いや、日常的に弾いてはいるのだが、ウクレレに正面向いて一日遊んでもらったのが久々ってことで。
で、それに飽きると灰谷さんをクーラーの無い部屋でぶちぶちと読みながら、タバコを吸ってみたり珈琲を飲んでみたりと。
要は、充実した夜なのである。
書きたいことが山ほどあるのに、言いたいことが腐るほどあるのに、歌いたい旋律が死ぬほどあるのに、結局放っておいても言葉は山にもならず、腐りもせず、そしてメロディが歌えないことで死ぬことなんてありえないもんだから、まぁいいんじゃないかと。
余裕と開き直りはとても似ているけれど、引き合いの出し方が難しい。
今のおれが持ってるものは・・・余裕だな。間違いない。
そんな余裕で弾き倒すウクレレの、なんと素晴らしいことか。
元来、楽器ってのは頑張ってやるものではないのかもしれないな。
もっと自然で自由で、さもありげな、だけども中身なんてちっとも無いような、そんな音楽って素敵だなぁ、と思う。掴みどころが無いとか、分かりにくいとかそういうことではなく、なんというかもっとこう、人間が持っている全部の感情のど真ん中辺りで生まれる音楽。
汗にまみれた平熱が、今夜もゆっくりと突き進んでいくのです。
「も」を多用する知人がいる。
「Yo-Heyさん、おれ(も)バンド組みましたよ」
「おれ(も)バイク買いましたよ」
「おれ(も)Mixi止めようかな・・・」
その感覚、悪くは無いんだが、どうもおれ的にはしっくりこない。。
なんというか、(も)で済むヤツにおそらくロックンロールは必要無いし、(も)で跨るバイクじゃぁ、そんなに遠くへは行けない気がするし。
(も)かぁ・・・。
最近年のせいか、周りに頼られる事が多くなった。
特にバイクと釣り関連。ぶはは。
おれが知りたいのは、そんな相談を持ちかけてくる連中の、「自分(は)こうありたいんだ」という心意気。
それを教えてくれなきゃぁ、なんの話もできないぜ。
それにしてもバイクに限れば、おれは現役じゃないんだけどな・・・。
あはは。
おそらく、全ての物欲を叶えるよりも前に、ストイックさを極めてある種の悟りなんかを開いてしまった方が楽なような気がする。
ところが、それが果たして必要か不必要かを考える暇も無く、おれの脳ミソはテレビやら広告やらに貯蓄本能をわさわさとくすぐられて、すぐさま「アレが欲しい」→「もっと稼がなきゃ」だなんて思考に陥ってしまったりする。
手持ちの荷物が少ない人ってのは、きっとモノの使い方や存在意義を理解している人なんだと思う。
「欲しいもの」と「必要なもの」の違いさえ分かれば、人生はもっと素敵でシンプルなものになるのかもしれないなぁ。
とは言え、そんなおれ様の前に立ちはだかるのは、いつだって「日常生活」という化け物だ。
金を稼ぎに行くために乗る電車賃でさえも、おれにとっては強大な敵の他、何者でもない。
はぁ、どうにも。
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最近、Yo-Hendrixは怒涛の新曲ラッシュを迎えている。
アイデアだけではなく、歌詞とメロディ、ギターの音色とコード進行や構成が、ほぼ同時に頭の中に浮かんでくると言う、いわば「モテ期」にも似た状態。わははは。
ライブの本数が増えると、なぜか創作意欲が途切れずに続くことが多々あるのだが、それにしてもここ一週間くらいは異常なまでのペースだ。
実際に日の目を見る曲はおそらくその中の一割くらいなのだろうが、まぁ選べる、ということはとても運のいいことなのだろう。
大切なのは平常心。平熱。
それと、ほんの少しだけ世の中を小馬鹿にしたような、そんな心意気。
おれが信じる「ユーモア」ってのもきっとそこにあるはずだ。
あぁ、それにしてもギターが欲しい。
必要・・・あぁ、もちろんそれは必要なものだ。