あぁ取れない。
眼球にびっちり張り付いて、取れないったらもう。
1Dayなるものを始めて試したのだが、心なしか2weekを使っているときよりフィット感がすんばらしい気がする。
取れねぇけど。
久々に新曲作りが炸裂してます。(バンドのだけど)
3曲同時進行とか、寝ないでやってる有様です。◎醒剤なんておれには必要無ぇー。
新橋から歩いて帰ってきてみたり、寝ないでギター弾いてみたり、この怖いもの無さがアレだ、一週間後のヤル気を前借している気がしないでもないのだけれども。
で、インターネットの懸賞でバッグが当たったり、釣りに行けばなんだかよく分からない間に爆釣してたり、もう何がなんだかよく分からないのだけれど。とりあえず躁転でも何でもいいから気分がいいのが大事な気がする。
あぁ、この怖いもの無さが今は一番怖い・・・。
なぜだか今日は、異常なまでに早起きをしてしまう。
午前6:30の起床。ワンマンライブの直後にしては身体が思いのほか疲れていなかったし、それよりなにより、眠って意識を無くしているのがなんだかもったいない気がしていたのだな。
早朝からガサゴソとエレキギターとエフェクターの調整。
前々から注文していたアナログディレイが今日の午前中に届き、これまたギターアンプの前から離れられなくなる、という理想的な展開。気が付けばどうやらおれはひどく空腹のようで、朝から水一杯摂ってないことにふと気が付く。
やれやれ、と朝食だか昼食だか分からんタイミングでカレーパンと豆乳を。
夕方までには正気になれるだろ、と、鼻歌。
感性がぎゅいんぎゅいんと音を立て始めてきたのが、手に取るように分かる。久しぶりだ、こんなの。
相変わらずの体調の悪さを尻目に、魂がゆっくりと、確実にスピードを上げ始めているようだ。
なんとなく、じゃないところが凄いんだ。
なんでこうなってきているのか、自分でもその理由を確信しているし、そのうえ、湧き上がる感性に振り回されるでもなく、しっかり自分の舵取り通りに突き進んでいる自信もある。
ありがとう。頂いたもの全部、近いうちに世の中に見せびらかしてみせます。
いつだっておれが欲しいものはお金で買えないものばっかりだから、時々それをあなたや彼らに無遠慮に尋ねてみたりする。それを嫌な顔ひとつ見せずに、これでもか、ってくらいの優しい言葉で返してくれる愛しい人たち。
預かり物の才能を、どうやって大切に磨いていこうか。
あとはそれだけなのだ。
人間。
まっとうなものを語り、作り、さもありなんとする、それが仕事。
人間であるぼくには、政治の話が似合う。
人間であるぼくには、スポーツの話が似合う。
旅行の話と、新しく発売された車の話が似合う。
理解の仕方は、妥協の仕方のそれと、おかしな程に似ているときがある。
誰もがふと思うことを、誰もが朝のホームに置き去りにして、結局誰もが拾えずに帰路につく。
傾げた首でそのまま振り返ると、街が真っ直ぐに見えるときがある。
ぼくの職業は人間。
目に見える営みを、目に見える形に紡いでいく。
見えないものには触れてはいけない。
なぜなら目に見えないから。
ぼくの仕事は、まぁそんなところだ。
またもや減薬に失敗。
一週間乗り越えたところで、突如頭の中で砂をかき混ぜられているような、あの忌々しい不快な頭痛に見舞われる。
病気なのかヤク中なのか、もうどっちでもいいから早く楽になりてぇ。
病名なんてどうでもいい。
自分には程遠い世界だと思っていた精神疾患が、こんなにも身近で、こんなにも手強いものだとは思わなかった。きっと患った人の大半が、そういうふうに思っているんじゃなかろうか。
最近、独りになりたい、と思うことが良くある。
放っておいてもらいたい、のではなくて、ただそこに、ぽつん、と佇んでいたい、と思うのだ。
それは願望といえるほど強い思いではないのだけれど、誰かと触れ合っているときにふと、「あぁ、この問いかけに何も答えないで済むにはどうしたいいんだろう」と思うことから始まり、「そうか、独りならいいんだ」と自己解決に行き着くのです。
今まで当たり前のように楽しんでいたものとか、慣れ親しんでいたものに、ある日突然、猛烈な違和感や疑問を覚え始める。
それはいわば、ある意味で境地に踏み込んでいる最中なのかもしれないのだけれど、もしも選べたとしたら、おれはずぅぅぅっとただのバカでいたかった。楽に越したことはないんだ。悟りなんていらない。
明日もいらない。約束もいらない。
ただ、30分や1時間先辺りを、ことごとくカッコよく決めていけるような、そんな躍動感が欲しい。
それは甚だ贅沢な話か。
とある人達と、真夜中の浅草で出会った。
再び、というか、始めまして、というか。
なんだろう、この不思議な感覚。
何かの反動みたいに、唐突に弾け飛ぶような楽しい夜。
退屈は、いつだってこんな夜のための伏線に過ぎないのだ。
浅草の夜空が意外なほど綺麗で、そりゃぁもう、うっとりするのなんのって。
こんな夜には、ラムコークの一杯ぐらい煽ってみてもいいじゃない。
夜明けに思ったことを。
無敵、ってのは、強いことを言うのではないなぁ、と。
もしかしたら、究極に優しいヤツのことを差す言葉ではないか、と。
だって、優しいヤツは、追われもしなければ襲われもしない。
立ちはだかる何かを体よくあしらって、ほら、敵などハナから誰もいないじゃないか、と。
そうだ浅草の旅人たちは、おそらく無敵。
良い夜をありがとう。
あなたたちの優しさを、妙に引きずってしまっているおれです。
会いたい人には会いたいときに会っておくのが、人生を旨く味わうコツなんだなぁ。
悩んでるヤツに、「大丈夫だ、心配ない」と言える大きな心を。
何故大丈夫かって、そりゃぁ、おれもお前と同じくらい悩んでるからだ、って言える正直さを。
昨日から右の手の平に刺さっていた棘が、今日の会社の帰りになぜだか無くなっていた。
大事なのは、思い出さないようにする苦悩ではなく、やんわりと忘れてしまえるような、そんなアタマの悪さなんだろう。
涙の数だけ強くなれるような、そんな難しい話ではなく、強くなる必要も、弱さを自己嫌悪する必要も、そうだ初めっからそんなモンは無かったのだ。
助言の大半は、たとえ話だもんなぁ、なぁんて。
何も信じないのではなく、他人より何より自分を信じている、ということ。
それが、大きな心。強い心。
自分自身を敵にしないための、賢い心。
おれは自分の曲でもブログの中でも、政治的な発言や表現は避けてきた。
なぜって、どうでもいいからだ。
ただなんかこう、最近妙に違和感がある。
宗教団体を母体にする新党が大手を振って自分の町でギャーギャー騒いでるのとか見るとね。
かつて先人たちがこの国のために、未熟なクソ国民のために、未来を必死で先読みして説いた「政治宗教の分離」という哲学。
あれはただのちっぽけなルールじゃなくて、立派な哲学だ。
無宗教の素敵なところは、自分が自分以外の何物でもない、と悟れるところなんだと思う。
「無宗教」という宗教が、人々を「無関心」に導いていることは否めないのだけれど。
冷静と無関心は違う。
怒るのではなく、戦うのではなく、見据えること。
冷静に、計ること。一年後を常に見据え、計るのだ。
それを死ぬまで続けていれば、人生はいとも簡単に成り立つはずなのだ。
人の在り方と、国の在り方が肩を並べなければ、民主主義や平等なんて、ただのクソ理論だ。
右とか左とか、そんな下らん線引きをしないと国を語れないヤツなんかは論外。
神様とか法力とか、国創りにそんなものを引き合いに出すヤツは日曜日の市営広場で手品でもやってろ。縦縞のハンカチを横縞にするくらいなら、君たちにも出来るだろう。
何でおれがこんなに好き勝手言えるか、って。
そりゃぁ、ロケンローラーだからだ。
専売特許だ。
繰り返すという。定まらないという。
報道は報道で、おれたちの心を意図も簡単に吊るし上げることが出来るという。
ざまぁみろの人たち。うそだろ、の人たち。
マジかよスゲェ、の人たち。
人は形を欲しがる。嘘だろうがクズだろうが、そこに見える、掴める形があればいいのだ。
真実なんて、ホントは誰も欲しがっていない気がする。
おれはテレビを見ない。なぜならアタマが狂ってしまうから。
おれの中では、おれの見て、感じて、溢れたものが全てだ。真実だ。
おれが神様で総理大臣で兵隊で隊長だ。
例外なく、おれもヤク切れ。
病院が地下水漏水のため、緊急工事なんだとか。
一枚の処方箋がないがために、おれは社会のクズみたいな気持ちになる。
みんな、いいかい。
ほんとうはロックンロールに覚醒剤もマリファナも必要無いんだよ。
ロックンロールは、この世で一番弱いヤツの味方なんだからな。
吠えたくなるときがある。
叫びたいんじゃなくて、吠えたい。
がおー、って。半裸で。
なんかこう、海とか山とか行くと、無性にそんな気持ちになる。
朝起きたらものすごい毛深くなってたりしても、おれにはなんてことない。
とてもとても足の早い、野犬になりたい。
休養を兼ねて、家でこれでもか、ってくらい寝てみたり、ダラダラ汗かきながらギターを弾いてみたり地元の東京湾を釣竿持ちながらぶらぶらしてみたり病院で薬のセミナー受けたりと、まぁとりあえず予定していたことは全部やったのである。
なんかこう、フル回転で動ける自分にようやく納得したようで。
ということで今日は予定通り(?)、なぁんにもしない日。
で、関東地方の梅雨が明けたらしく、この道行く人たちを小馬鹿にしたような快晴。
いいぞ、夏。
最近、子供たちの歓声に釣られて、休みの日になると近所の運河をチャリンコでぶらぶらしてみたり。
で、カニ獲りをしている姉妹と仲良くなる。
聞けばおれと同じマンションなのだとか。笑
そのあと彼女の友達が湧いて出たように集まってきて、しばしハゼ釣り大会へと発展していくという最高潮な流れ。これが実に楽しい。
やっぱり子供ってのは賢くて、仕掛けの作り方なんかを教えてやると、次の日にはお小遣いで自分の竿を買ってきて、自分たちだけでで器用にハゼを釣り上げていたりする。
最初は虫餌も触れなかったくせに。
どうやら近所に住んでいる所在不明なおっさん、という存在。
おそらく今までの自分には無かったカテゴリーにすっぽりとはまっているこの意外な気持ちよさ。しばし楽しもう。
子供たちが大人になったとき、「あぁ、そういえば近所に妙なおっさんいたなぁ」と思い出してくれる日があれば、それはおれの狙い通りなわけです。