カムチャッカの若者が きりんの夢を見ている時
メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女がほほえみながら 寝返りをうつとき
ローマの少年は頭柱を染める 朝陽にウインクする
この地球では いつもどこかで 朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ 緯度から 緯度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき 耳をすますと どこか遠くで 目覚まし時計のベルが鳴っている
それはあなたの送った朝を 誰かがしっかりと受け止めた 証拠なのだ
~【朝のリレー】 谷川俊太郎~
おれの原点の詩。
無責任な希望も、独りよがりの絶望も、この詩には見当たらない。
ありのまま。
この詩を思い出すたびに、ヤル気や根気なんてどうでもいいけれど、勇気だけは持っていたいなぁ、と思うわけです。
時には微動だにしないという。
時にはひらりとかいくぐるという。
そういう勇気。
つべこべ抜かすな。
まず、君で在れ。
一番の問題は、おれ自身、他人の言葉に1mmも動揺しないことなのかもしれない。
会社の上司に怒られているときに、なんとなく、そう思った。
ここ一ヶ月は仕事で失敗続きの日々。上司の「お前は気が緩んでいる」という言葉に対して、「ほぉ、そうですか」としか言いようがないおれに、なんというか、呆れ半分の心強さを感じてしまったりして。
確かに、おれの病気も心の緩みに一因があることは否めないし、もしかしたら心をビシっ、と引き締めることで全てが解決するのかもしれない。
正直、なんだかよくわかんねぇんだなぁ。
「正しいこと」を楯に出されてしまうと、「ほぅ、そうですか」としか言いようがなくなってしまう。
「正しいこと」に、果たして自分の夢や哲学を任せるだけの価値があるかどうかも分からない。
分からない、と言うより、そこに価値を見出すことすらバカバカしくなっているのかもしれない。
要は、ほんのちょこっと、おれ自身が冷めているのかもしれない。
帰り道。
誰かが晴海ふ頭でトランペットを吹いていた。
悪くない夜だなぁ。
夜の路地に響くのは 聞き覚えのあるような
懐かしくていとおしい 涙だらけのメロディ
見も知らぬ誰かの 恋心を乗せて
ガードレールまたいでは 闇に消えていくよ
ブルーハーツ きっと誰もが泣く夜だ
丸い月に目を細め ひとつ指を打ち鳴らす
忘れたくて思い出した バカバカしい夢もある
独り歩く僕を その場限り飾る
うる覚えの唄なんて 信じないと決めたのさ
ブルーハーツ たぶん夢は叶うだろう
通り過ぎたはずの 確かめたはずの
そんな唄を今夜は ふと思い出したのさ
ブルーハーツ きっと誰もが泣く夜だ
ブルーハーツ ずっと夢は続くだろう
そっと口ずさむ夜だ
~Yo-Hendrix『ブルー・ハーツ』より転載~
人類は大変なものを作ってしまったもんだと、あらためて思った。
ハッピーターンの粉。
あんなものを素焼きのせんべいに満遍なくまぶされた日にゃ、もうあんた。。
人類、総デブ計画。ちくしょう、ハッピーターンめ。
今日はいつものラークからショートホープに変えて、おぉ、ショッポもまぁまぁイケるぢゃないか、なんて感動してたところ、やっぱりショッポは短すぎて吸ってるとき、特に後半はなんだかタバコが燃えて無くなっていくのが惜しくて惜しくてつくづく自分は貧乏人の子供なんだというコトを実感したところでやっぱりラークを買いにコンビニに走る始末。
まぁ要するに、今日は書くことがないし昨日の夜辺りから扁桃腺が腫れはじめたのでそろそろ寝ようか、というテンションだと言うこと。
久々、食える獲物を釣ってみた。
ここんところシーバス、カレイ、はたまたハゼどんにも見放されっぱなしだったのだが、今週に入ってからようやくまともなシーバスを釣った。
で、今日は鯖。
準備万端な釣行ではなかったにしろ、久々に魚らしい魚に出会えた。
って、釣り上げたところを写真に撮りたいんだけれど、どうしても青物狙いになると、〆&血抜きに全神経を使ってしまうもんで(要は極度のテンパり状態)、どうにもまともな写真を撮ったためしがない。
魚屋で買ったんじゃないからね、これ。
とりあえず秋の回遊魚はこれにて終了。
来月からのカレイ退治に向けて、仕掛けを作らなければ。
そしてフィーリングも手に入れたところで、溜まった新曲を今一度洗い直してみよう。
自然と人間は、どうやったって繋がっている。
理屈じゃ分かっているけれど、こうやって釣り糸を垂れることでしか確認できない自分もいる。
確認できるだけ、まだマシなのかもしれないけれど。
最近は早起き。
体調の都合もあって、仕事はまったりと遅番出勤にしてもらっているのだが(理解のある会社だ)、しかしながら朝方に時間が欲しい俺は、早起きをここのところのモットーとしているのである。
向精神薬の類を飲み始めてようやく一ヶ月ちょいが過ぎたんだが、なんだかこのところ如実に体調が回復してきている気がする。派手に何かをやろうとするような、そんな意欲があるわけではないが、なんとなく、毎日落ち着いている感じ。(もちろん、小さな波はある)
飲んでいる薬というのが、「パキシル」という外国の薬で、効果はかなりのもながら減薬に一抹の覚悟が必要なのと、薬価が高いのがちと難点なのだが。経過を見る限りは、時間さえ掛ければ何とかなりそうな感じだ。
安定剤を飲む頻度もだいぶ少なくなり、これはこれで寝起きがいいので助かっている。
睡眠薬も、週に2、3回くらいの服用でOKだ。体が軽くなったわけだ。
不自然なものを、「おいHendrix、こいつはちと不自然だぞ」と、心よりも何よりも先に「魂」が警告してくれた、ってのが恐らく今回の症状の発端。おれの魂は、まだまだ生物にとっての大切なものを忘れてはいないんだなぁ、とこれまた感動してみたり。
心を突き動かしてくれているのが、感情や性格などではなく、自分の「魂」だと思うことで色んなことが納得できるようになった。
心や感情を「性格」というのならば、魂はさしずめ「性質」とでもいうのだろうか。
男が男であったり、女が女であったり、犬が、ネコが、それらが全て「それら」であること。
それが性質なんだろう。
「おれ」が「おれ」であること。
心も感情も関係なく、それは「性質」なんだろうから、その事実は大事にしなきゃならん。
自分魂を見つけること。
そいつの不動の在り方を称えながら、信じること。
性格や感情、心は得てして対外的なものでしかないような気がする。
だから、自分を信じると言うことは、魂と対話をすると言うことなのだ。
自分の魂に毎日毎日問いかけ続けることで、必ず答えや納得の行く結果が得られると思うのだ。
肝心なときにはこうやって、体や心にサインを出してくれるヤツなのだから。
まるで中毒のように、休みの日ともなれば何かと口実立ててチャリンコに跨る日が続いている。
気が着くと40kmとか、ゆうにそれくらいの距離を走っている自分にビックリ。
昨日は久々に晴れた休日。サイクリングがてら若洲の堤防に、今年初めてのカレイ退治へと出かけたのだが・・・
・・・釣れん。
分かってはいたが、釣れん。
手の平ほどにも満たないくらいのカサゴと、同じようなサイズのメジナを掛けただけ。
どうにも。
明確なアタリが一度あったが、結局針掛かりせず。
自宅マンション裏のでかい運河で、真冬にマコガレイが揚がるらしいという噂を聞きつけてから、もう冬が待ち遠しくてたまらない。冬なんて、あんな陰鬱とした季節なんて大嫌いだったのに。
調和。
満員電車の中で、ガクガクと震える顎は、きっとおれの魂が正常な場所を知っていて、そこにおれを無理矢理でも導こうとしている証拠なのかもしれないな。
おれの心は間違いなく正常なのだ。
じゃぁ、次の一手を考えるのは、もう止めだ。止めにしよう。
自転車通勤が続いている。
信号待ちで「えぃやぁぁ」とダッシュをかますのだが、なんとか原付くらいには次の信号まで追いつけるくらいになった。
そんなおれの心臓の排気量は、おそらく45ccほどではないかと。
帰り道、気まぐれに海沿いや隅田川の河口辺りを散策するのが面白くて仕方ない。
おかげで、帰りは行きの倍くらいの時間を使ってしまうのだが。
革命だ。
おれの心に革命が起きている。そうに違いない。
オートバイを降りて、エレキギターを降ろしてから早二年余り。
ようやくのターニングポイントを見つけた気がする。病気も然り、だ。
振り返るのと、戻ってしまうのはだいぶ違うんだな。
今日はずいぶんと、調子がいいみたいだ。
今日は午後から独りツーリング。
辰巳水門を跨ぎ、晴海を通り過ぎてお台場へ。
途中、エイを釣り上げていたオッサンを撮ろうと思ったら、携帯電話、無念のバッテリー切れ。
そういやここんとこ、充電した記憶がない・・・。
とにかくデカかったんだよ、エイが。裏ッ返しのエイの顔の、これまた憎たらしいこと。
オッサン、テンパってました。
「これ、どうすんの?」って聞いたら、「お兄ちゃん、持ってくか??」
って、持ってくか、そんなもん。
お台場で、「レンタルバイク」なる看板を発見したのだが、今日は見もせずにスルー。
ここんところ急激にバイクや車に興味が無くなってきていることを、改めて自覚した。住んでるところが東京湾岸地区なもんで、釣りに行くときも自転車だもんなぁ。
寄り道も程ほどに、月島でハゼ釣りをするじいさんをからかいつつ、帰りの道へ。4時間ほどのツーリングは終了。
走行距離、約20㎞。
昨日仕事をフルタイムでやりきった自信。少しずつだが気力が戻ってきたという確信。
ほんの少ぉ~しだけ、今日は前進したようだ。
通勤用に、ぶっ飛ばせる自転車を買った。
安物だが、26インチの21段変速、折り畳み式と、これまた願ったり叶ったり仕様な憎いヤツ。
パニックの治療で、「運動療法」なるものを勧められたので、ここは素直に真に受けておこうと。それに薬の副作用で少し太り始めたこともありまして。
通勤が、楽しくて仕方ない。
先週まであれだけ引きこもっていた自分が、まるで他人のようだ。
一進一退、と掛かり付けの先生は言うけれど、結局どんな薬を飲むより、どんなに休息を取るより、自分自身に意欲がある時こそ本当の治療のチャンスだと思うわけで。
まだまだ仕事中の心の危うさは否めないけれど、しばらくは先輩たちに甘えようと決めた。
ぶっちぎってやりますから、絶対に。
帰りは職場のある虎ノ門から銀座、晴海方面にほんの少し遠回りをして、東京湾を眺めながらの帰り道。
ひょっとしたら、ひとりで電車に乗れるようになるよりも早く、きっとコイツがおれを思いのほか遠くへ連れて行ってくれるかもしれない。
それに何より来る冬のカレイ釣りのポイントもなんとなく絞れたし。
そんな期待をしながら、しゃーこしゃーことペダルを漕ぐのです。
電光石火で、駆け抜けるのです。
本人的にも自覚が薄かったパニック&欝の症状だが、ここのところ露骨に体調に表れるようになってきていて、朝の通勤時、駅の入り口まで来るとなぜだか在りえないほどの恐怖感、それとともに世界がこのまま終わってしまうのではなかろうかと言うような絶望感に打ちのめされて、どうやら症状は否応なく過渡期を迎えてしまっているようだ。
部屋で何もしていないと落ち着くかと言えばそうでもなく、何かしなくてはと言う焦りとまた戦わなければいけないのだ。
おれの体は一体どうしてしまったのだろう、と、思う。
調子のいいときは、まるで雲にでも乗ったかのような気分で、しかしながらそこに現実感がまるでない、というような不思議な感覚。調子の悪いときは、言わずもがな、地獄だ。
誰かの「頑張って」という言葉が、これほど重荷になるなんて、なんだか申し訳ないやら情けないやらで。
心の爆弾。まさにそんなものを、おれは手にしてしまったような。
会社の仲間に会いたい。
恋人と電車に乗って出かけたい。
家族と明るい笑顔で話したい。
音楽仲間と、夜が明けるまで話したい。
友達とご飯食べに行きたい。
自転車に乗って、釣りに行きたい。
そんな簡単なことさえ、もしかしたら二度と叶わないんじゃないかという絶望感。
おれは一体、何と戦ってるんだろう。