自転車派なのである。
ガソリンが高いもんで、ちょっと考えていた車の購入もバイクの購入も当面のところ様子を見ることに。
我慢しながら乗るのはイヤなんでね。
とはいえ、お気に入りのBMXの調子がいまひとつ悪く、高速で走り続けるとハンドルの接続部分がぶれ始める、なんていう症状に悩まされていたところ。
で、通勤の朝についにハンドルが明後日の方向を向いてしまった。
まぁ、六角レンチ一本で直せる内容なのだが、肝心のその六角が見あたらねぇ。
どうしたものか。
ということで、Yo-Hendrix号は今会社の駐輪場でふて腐れています。
夏になったら、バカみたいに燃費のいい原チャリ(カブとかモンキーとか)か、それかバカみたいに軽くて頑丈なチャリを購入しよう。
最近珍しく、9:00~18:00勤務なんていういわゆるマトモな人間生活を送ってしまっている反動で、家に帰ってくるとネットで旅関係の情報ばかりを見て回っている。
はぁぁぁぁぁ
旅かぁぁぁぁぁ。
ルイガノのチャリンコかなんかをこう、景気良く購入してだな
フェリーでまたしても旅、なんていうわけにはいかんものかね。
とある先輩に、ランチ限定のレストランを開業しないか、と言われた。
おぉ。
ランチ限定なのである。
ということは、勤務時間もそこそこに、好きな料理を作れてしまうわけである。
なんて分かりやすい仕事なんだ。
こういうシンプルな仕事が好き。
求める人がいて、それを奉仕する人がいる。
そこで完結することの出来る仕事。
本来人間の「仕事」には、それ以上の理屈やシステムをくっ付けてしまってはいけないような気がしている。
だから、プロジェクトにはかなり興味があるのだ。
しかしミュージシャンってのはなんでこう飲食関係のアンテナを持った人間が多いのだろう。
いやぁ、楽しみだ。
最近愚痴っぽいおれをだれか引っ叩いてやってはくれないか。(笑)
あ、今ね、文章の後に(笑)とか付けるのがあんまり好きじゃないことに気が付いた。
(笑)。
なぁんてね。
来月辺りから、千葉の海沿いにリサーチを入れることにした。
釣り、もそうなのだけれど、住居、ね。
住むんです。はい。向こう一年計画で。
自分の集中力の無さを環境のせいにしてしまうのはいかんせん気が引けるけれど、まぁそれはそれで。
考えてみたら、去年南の島を放浪していたあの辺りから、人生観がぐるりと変わってしまったような気がする。
まぁ、「気がする」だけだ。
しっかりしなきゃなぁ、と思う。
なんとなく、今のままでは納得できないような。
だから、まずは自分の納得の行く生活環境を手に入れることからだ。
東京では、だれもが頑張っていることが大前提なのだけれど、どうやらおれの「頑張り」は都会じゃいつまで経っても空回りをし続けるばかりみたいだ。
満員電車も違う。
カラオケボックスも違う。
パチンコ屋も違う。
ピカピカのドイツ車も違う。
ラーメン屋に並んで入るのも違う。
勤勉も違う。
深夜のゲームセンターも、渋谷も新宿も六本木も池袋も、まるっきり違う。
「正解」を、自分とは違う誰かに求める気なんてサラサラ無いけれどね、でも生きてる以上、一日一回でも「納得」できる瞬間が欲しいじゃないすか。
要はそういうことなんです。
金が入ったら、千葉の沖ノ島にでも行って来ようかと思う。
おそらく予定が立つのが梅雨時になるわけだが、生粋の雨男、Yo-Hendrixにとっては、もう毎日が雨期のようなものなので。えぇ。
今年の夏、ちょっと叶えたい願望が。
安ぅぅいスーパーカブかなんかを一台中古で手に入れて、テント積んで南房総の海沿いをツーリング。
これね、たぶん50ccでやるから面白いんだと思います。
いいねぇ。
50cc4ストエンジンの非力さに悩みながらも、10キロも走るとそれが快感になってしまう、という。
時速30㎞
誰にも追い越せない快感がそこにはあるのです。
夢を叶えてくれるのは、いつだって自分の労働力だ。
徒労の最中へ、いざ。
昨日は10時間も寝てしまった。
それでも今朝はなぜだか眠気が取れず、通勤途中の電車の中で膝が崩れる事数回。
いやぁ、眠かった。
結論。
結局朝早く起きると眠い。
思い出とは、ある意味「余韻」なのではないか、と。
例えば大きな鐘のを叩いた後の「・・・・」という、音とも波動とも空耳とも取れないような、あの余韻。
だから「思い出」ってのは、人間が生きていく上でどうしても心地よく感じてしまう「・・・・」という心の間のことではないだろうか。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
ふとした拍子で、ぶわぁぁぁっ、と溢れてくる思い出。
きっと何日かしたら、またすぐに脳ミソの奥の方に引っ込んでしまうような、そんな思い出。
今日、ガソリンが切れてしまったのかなんなのか分からんが、都会の真ん中、バイクを汗だくで押して歩く少年を見かけた。
少年・・・年のころはたぶん19、20歳くらいか。
少年ではないかな。
そう確か、おれが始めてバイクを買ったその月に、こっぴどいガス欠を経験したんだっけな。
あれは確か真夏の渋谷のスクランブル交差点近く。
後ろに女の子を乗せてたもんだから、舞い上がっていたんだなぁ、きっと。
都会の真ん中ってのは、意外にガソリンスタンドが無いんだよな。
おれ以上に凹み始めた彼女に、「電車で帰れ」というおれ。
その案を頑なに拒み、歩いてくっついてくる彼女。
ふとした風景の中に、かつての自分の残像を見つけてしまうってことは・・・
おれ、いよいよ年を取ったのかなぁ。。
夏が近い。
バイクもいいね。
(写真はかつておれの財布を十二分に苦しめた愛車、ロイヤルエンフィールド)
30才を目の前に、ひとつささやかな夢を見ている。
来年あたり、千葉県の房総半島にでも引っ越そうかなぁ、と。
近頃めっきり海が足りない。
都会を歩いていると、以前にも増して目眩や吐き気に襲われる事がある。
渋谷新宿池袋六本木。
かと言って、べつにこんな自分を残念な目で見ているわけでもなく、「おぉ、おれの体と心は正常に物事を分別できているなぁ」なんて思ってしまったりしまわなかったり。
内房の海っ端に小さい平屋でも借りてだな
そこそこに仕事をしながら創作活動に打ち込みつつ、風が穏やかな朝には浜辺に釣竿持ってスーパーカブでつりに行くのさね。
正直、都会はキツい。
選べるものがあまりにも多すぎて、毎日のように目が回ってしまう。
東京生まれ東京育ちのおれには愛する地元の悪口は言えそうにも無い。
東京はすごい街だ。
人が一杯いて、いろんな文化が入ってきて、やろうと思えばそれとなく何でも出来てしまう。
おれの生まれ育った深川には、心優しい貧乏人達が開発の進む湾岸エリアをなんともいえない顔で見つめ続けている。
もうそれは、かわいいくらいのアンバランスで滑稽な顔で。
別に何にアンチを訴えかけるわけでもない。
おれに必要なものが、海から吹く温かい風だったり、防砂林の裏に見える国道だったり、バカみたいに厚着をして出かける真冬のアイナメ釣りだったりするだけだ。
弾き語りでの活動のペースを、一度抑えようかと思っている。
ガットギター指弾きスタイルという事で活動してきたが、それゆえ右手を酷使する事が多く、このまま使い続ければ持病になってしまった腱鞘炎のリハビリもままならない・・・。
まぁ、バンド活動にも復活したことだし、ここはいい機会ではなかろうか、と。
そしてやっぱり、東京の呪縛をひしひしと感じているこの頃です。
同じ位置で活動してきたアーティストたちは次々に地元へ帰っていきます。
もともと地元が東京のおれみたいなアーティストは、ほんとに恵まれてるんだろうなぁ。
しかしながらその環境に甘えてしまう自分もいます。
まったくもう。
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仲のイイ友達と、釣りに行く約束をした。
なんて絶妙なタイミング。
ここ最近のおれのヘタレ具合を知ってか知らずか、近頃は友達に誘われたり突然地方の友達が東京を訪れてくれたり。
今回の釣りの話だって、とてもいいタイミングだ。
大好きな友達と、大好きな釣りを一日中。
これを幸福と言わないでどうする。
そー。ひとつ個人的な話を。
山口で歌ってるヒロへ。
今年こそそっちに行くからな。
久々に君のようなアーティストと話が出来ると思うと、今からわくわくして仕方ない。
君のようなアーティストを生み出した土地を、一度見てみたいのだ。
トランジスタラジオ
東京で歌ってもいいかなぁ・・・?笑
スーパーカブが欲しいのである。
世界のHONDA。
今やこの国で「世界の…」と言ったらナベアツなのだが、おれに言わせればそんな馬鹿げた話は無い。
世界の…と言えば、HONDAなのだ。
その証拠に、おれの携帯で「ほんだ」と入力すると、変換候補の2番目くらいに「HONDA」と出てくる。
2番目だぜ?2番目。
ナベアツなんて、変換機能に任せたら
「鍋圧」だもんな。
レベルが違ぇ。
ベトナム行ったら、バイクはみんな「HONDA」って呼ばれてるからな。
「おれのHONDAはSUZUKIだぜ」って、どういうことだよオイ。
あ、ってか「SUZUKI」も変換できるじゃん。
じゃあついでに…
「YAMAHA」
あ、できた。
「Kawasaki」
おぉっ、Kawasakiまで!!
なんか嬉しくなってきたな。
でもいくら携帯で簡単に変換できようとも、やっぱりおれにとって「世界の…」とい言えば、「HONDA」なんだよな。
人間同士の出会いを「必然だ」と言ってしまえるほどおれには大した哲学も人生経験も無い。
友達との出会いは、何か日常の必須条件を遥かに越えたような、そんな条件の下で生まれるのだ。
分かりやすく言ってしまえば、それは奇跡。
いやぁ、相変わらずおれもロマンチストだなぁ。。
おれには得体の知れないとてつもなくでっかい力を持った友達がいる。
その力は、何をなし得るためのものではなく、日々を誰よりも正直に悩み、生きようとする力だ。
当たり前に過ごしてしまいがちな日々を、ふと立ち止まって考える事ができるという
そういう力だ。
エネルギーは、伝染する。
友達と会い語り合った帰り道、あの何より軽やかな自分の足がその証明だ。
美しい友達よ、いつも力をありがとう。
あなたのおかげです。
あなたのおかげで、悲しみが言葉や形になってしまうギリギリ一歩手前に、おれは立ち上がる事ができる。
あなたはおれの、自慢の友達なのです。