一度覚えたインスタントな贅沢は、なかなか捨てられない。
なんというか、贅沢を知る度に、自分の中のいろいろなものを人質に取られているんだろうな本当は。
街を歩けば、幹線道路では黒塗りのドイツ車が軽トラックを煽り、カードローンの立て看板が電柱のふもとで腐りながら風にうなっている。パチンコ屋の自動ドアが通りすがりにだらしなく開いて、無秩序なBGMで我に返って、ちょっと早足になってみたりする。
たぶん怖いのだ、おれは。
足りなくなった感性や想像力を埋めるために、報道番組や新聞を見て一喜一憂、知ったふりをして今日も一日ご苦労様。冗談みたい。
この国が狂っているように、たぶんおれたちも相当にアタマをヤられているに違いない。
描けば描くほど、ほんとはみんな好きなだけ自由になれるのにねぇ。
誰かが切って張って昨日か一昨日辺りに作った危うい価値観に、自ら縛られてみたりする。
忌わしきを鏡に。
おれの目に映るのは、いつだっておれだ。
慎ましい、という生き方が怖い。
原始を思い出しつつ、前に進む方法が解らないから。
でも忌わしい生き方は、もっと怖い。
取られた人質を、ひとつずつ取り返していこう、と思った。
嫌いなものを大きな声で言うヤツと、好きなものを一方的に人に伝えたがるヤツ。
これ、自己主張のベクトルが違うだけで、質は同じものだと思うの。
どちらも歓迎されない。
稚拙。
好きなものを好き、と言えないことはとても寂しいことだと思うけれど、言わなきゃ、他人に伝えなきゃ自分自身を確認できないってこともそれはそれで寂しいことだと思うのですよ。
おれのことを、「秘密主義だ」なんていうヤツがいるけれど、そんな下らんもので主義主張した覚えは無い。
秘密じゃない。
自己完結してるだけなのだ。うらやましいか、へへっ。
大きな流れを感じた後には、小さな小さなミクロな自己の世界へ。マクロからミクロへ。
その間を行ったりきたりすることで初めて、物事の本当の大きさが解るんじゃないかなぁ。
思い通りの休日。
ほんとうに、何もかもが思うとおりの休日だ。
素敵な人に会い、素敵な街でおいしいコーヒーを。
そして格安の靴とネクタイを買って・・・・
もうこれ以上今日は何もいらないの。
隠されたことが知りたければ、今手に届くものをよぉぉぉぉく見れば良い。
そこから必ず根を張り巡らされて、物事は同じ土の中に広がっている。
幸せな昼寝と、久々のラーメンと、うちのバカ犬。
この中にもいろんな答えや真理が詰まっているんだろうなぁ、でも面倒だから深く考えるのはやめるかぁ、なんて。
「世の中には、法律や理屈がまるっきり通じない敵ってのがいる。そんなものと対峙したときに、強い拳を持っていない男は不幸だ。」
おれの世界で一番尊敬する武道家の名言。
夜のバス停で、左拳を思わず撫でてみる。
そんな、思い通りの休日。
カードのメッセージ。
思いのほか、今回は分かりやすく出ているのでこちらにアップ。
何を占うでもなく、カードと雑談をするようにちらほらめくることが多いのだが、今回は非常に興味深いメッセージがあったので是非考えていただけたらこれ幸い。
種が滅ぶとき。それは、本能を忘れてしまったときのようです。
人間にもここ最近忘れかけている本能(生物的に正しいかどうかは分からないけれど・・・)があるようで、種の存続にかかわるものである、とカードは語ります。
その「本能」とは、生存本能と対極にあるであろう「共存本能」だといいます。
「共存」というテーマが遺伝子レベルで組み込まれているにもかかわらず、人間はそれを捨て去ろうとしている。
滞りなく受け流し、広め、共有する。
大きな大きな、種として与えられたテーマだそうです。
「個」ばかりを大事にしてしまうと、「種」がおろそかになる。
理性と欲と本能のコントロールに悩むおれたち人間にとって、それは決して壊してはいけないバランスなのだとカードは語ります。
「種」の尊厳を理解してこその「個」
なんだか今日はカードがとても優しく、軽やかに語るのでついつい嬉しくなって記事を書いてみました。
ほら、やっぱりおれたちは自然の摂理にしっかり組み込まれて生きている。
わくわくするなぁ!!
この意味を深刻に捉えることもできるけれども、人間としての「種」に立ち返る原点としてはとっても原始的でシンプルで分かりやすいと思うのです。
種の存続。
個の存続。
どちらが大事、ではない。
どちらも大事、なのだ。
(会社の運河で仲良くなった猫。渋い鳴き声してる)
みなさん。いかがお過ごし??
ヨーヘンはここのところ左肩があがらず、レントゲンや病理検査でも理由が分からず、四十肩説が日に日に濃厚になるばかり。
あーいやだいやだ。
今日も整体に行こうと思いつつ、ぼけぇっとしていたらあらまぁ、いつのまにやらお昼過ぎ。
土曜日だったんだね。整体院も早仕舞い。まぁいい、おれも早仕舞いしよう。
・・・・と、思っているところに先日まで滞っていたブレスレットの材料の入荷がどかっ、とありまして、支払いやら何やらで頭一杯、手一杯になりつつ今ようやく落ち着いてコーヒー飲んでおります。
んー、今日は本でも読もうかな。。
人の身体を動かす最も大事なものは、カロリーやビタミンやミネラルなんかじゃなくてね、意識だと思うの。
意識。
動けない、できない、やらない理由があるのなら、意識を疑え。自分の意識を。
原発。
明日明後日が大きな転換期になるかも分からんです。地震に関しては大潮なもんで、高い山の連なるところなどは特に月の引力に左右されて揺れやすい状況があるかもしれないです。しかしながら、プレートそのものがガツンと動くのは、どうしてか中潮やら小潮やら、あまり月の引力に関係なく現れるときも多いみたい。
結局おれにもわかんねぇや。
まぁ、地震に関しては偉い人がいろいろ考えてくれるのであんまり気にしないでいよう。
おれは大潮に関しては特別な意味を見出している。
釣りをしていたときからそうなのだが、自然界(海の中だけかな・・・)がもっとも活発に動くのも大潮の周期。
海の生物達が捕食活動や繁殖活動を活発に行うのがこの周期だ。
女性に訪れる、生理も。
おれがブレスレットを作るのもその周期だし、おれの思う中での「清算と解毒」もその周期を基にして考えている。
気の迷いがあるときは海に行くし、おれと遊んでくれるのはいつだって大潮の夜の騒がしい海だ。
その海が、狂った。
狂った、という表現は人間本位の目線でもあるのだけれど。
しかし大きなうねりの最中にこそ、物事の理屈や成り立ちがあらわになることが多いのも事実。
海が伝えるものを、今度こそ上手にとらえないと。
明日をも知れぬ東北の人たちにはなるべく楽をしてもらって、元気で冷静にいることが許されている都会のおれたちが、そういう理屈や隠された事実、本質を探り出さないと話にならない。
タロットは相変わらず強烈な警告のメッセージと慈愛にあふれたメッセージを一度に見せてくれます。
原発を悪にするのも、政府を悪にするのも、贅沢を悪にするのも、おれにはどうしてもこう、しっくりとこないものがある。正義だ悪だとごちゃごちゃ腹いせしてる場合じゃねぇんだよ。
試されてます。本当に。
「神様」って表現は嫌い。
まるでさも立派な佇まいで、弱き助け悪しきをくじくような、そんな都合のいい存在を指しているようで。
神様。
それは、絶対的な仕組みや真理を言うのだと思う。手を合わせる対象でもなければ、恐れおののくものでもない。
おれたちの生活や感性に、実はいつでもぴったりとくっついていて、おれたちを自然な形に導いたり当てはめてくれたりするもの。
おれは、それを「神様」と言っている。
占いの仕事をしていると、その「神様」の中に究極的にシンプルな仕組みや理屈を見出したり、点と点がふいに結ばれ始めたり、なんとも不思議な気持ちを味わうことが多い。
インスピレーション、か。
先日、タロットカードに詳しいお客さんに、「なぜ数枚のタロットから地震のことや社会のこと、方角や時間などが読み取れるのか」と尋ねられた。
うぅん、相変わらずそこはうまく表現できなかったのだけれど、今考えてみれば「それが一番シンプルな理屈だから」と答えればよかったのかな。
フィーリングからフィーリングへと意識を飛び移らせて、堪えきれなくなったところで言葉にする。
フィーリングは、いうなれば「神様」が直接的におれたちに与える感性だ。
それを言葉にして伝えるとき、少なくともその「神様の感性」が人間のちっぽけな洞察や希望的観測などのフィルターを通すことになる。
だから人間以外の動物は、複雑な言語を持たない。
「神様の感性」そのものを使って生きているからだ。
かたや人間は、「神様の感性」と「人間の感性」をうまく使い、バランスよく生きるように使命を与えられているのだと思う。自然の力や原子の力を少しだけ借りることが許されているのは、そういう使命を与えられているからなのだろう。
なんで急にそんなオカルトチックなことを言い出したのかと言うと・・・
それが一番シンプルな理屈だから、だ。
おれは今夜もぐらぐら揺れる日本列島に腰を下ろして、悩み続けている。
自分じゃなかったことに感謝をするのが人間で、なぜ自分には・・・と嘆くのも人間で、欠如した想像力は自分の人生と他人の人生を都合よく切り離したり重ね合わせたりを繰り返して、まるで幼稚な紙粘土細工みたい。
いじくり回しているうちにそのうち乾いて固まって、自分が見えなくなる。
思いやりとか優しさとか、いちいち定義する暇があったらなぁ、想像しろよ、と。
思いをめぐらせて、目の前の人の抱えてるバックボーンとか欲求とか苦しみとか企みとか。
与えたり受け取ったり、そういうんじゃなくて、ほんとシンプルな言い方をすれば「めぐらせること」に生命の目的はあるんじゃないかと。
おれはそう思う。
おれの不愉快は、難しい。我ながら、難しい。
なんだろう、この気持ち。
書いていても言葉にしても、自分で何が気に食わないのかぜんぜん分からないんだよな、正直。
カバラとタロットを使って占いをすると、1970年代中頃から1980年代初頭にかけて生を受けた人の多くに、世の中の代激変を経験し、歴史を担っていく運勢が見られることがある。
で、具体的には2010~2013年あたりまでにその出来事を経験するようになり、いやおう無く意識改革を迫られるであろう運勢を持って生まれている、という。
かくいうおれも、その時代に生を受けたひとりになるわけだが。
受けて立とうじゃないか、と思う。
地震でも環境汚染でも社会不安でも何でも来い。
それがおれたちの帳尻合わせになるのなら、正々堂々とやってやろうなじゃないか。
おれはそう思う。
弱気な哲学と、精密な愛は何よりの武器。
極論を持ち出さない勇気さえあれば、おれたちは宿命を全うすることができる。
みんな、目ェ開いてよぉぉく見とけ。それぞれの答えを見つけるためには、大きな流れを見抜くことからだ。
突然カードが脳内でパラパラめくられ始めるときは、決まってあんまり好ましくない結果が出る。
見たくないけど、とりあえず当面の日本のこと。
隠された真実と、それによって多くの人々が疑心に満ち溢れ、貧しくなり、卑屈になるという未来の暗示。
カードが伝える唯一の強いメッセージは、相変わらず「事の本質を静かに見抜くこと」だ。
食品、特に海産物の汚染と加工食品の流通不足。
工業生産力の低下は著しく、回復の兆しがなかなか見えない、と。
年内中を視野に入れて占ってみたのだけれど、どうやらことは重大な人災に発展してくるようだ。
アメリカの大掛かりな仲介もこれから始まるようだ、と。
あと、小規模ながらも6月~9月にかけて火山の噴火も要警戒とのこと。小さな島があるところです。
その他、ちょっと怖くてまだ書けないこともいくつか。
うぅん、金があってもモノが無くちゃ買えない。
というか、そういう現状にこそ答えや救いを見つけるきっかけがあることをおれたちは忘れてはいけない。
地震の日から定期的にカードをめくっているのだが、驚くべきはカードの主張が常に一貫しているところ。
何を占っても、中核のメッセージは「ことの本質を注意深く見抜くこと」と出る。
それでも皮肉なことに、色濃い利権主義のおかげで経済が徐々に立ち直っていくことも暗示されている。
というか、経済の立ち直りに人々の意識がまたごまかされてしまうことをカードは伝えている。
とにかく、報道やデマ、団体思想や宗教に振り回されずにそれぞれが自分を持ち、かつ共存することが今後の人間の営みにとっての最大のテーマ、というところだろうか。
無意識に繰り返されることの中にこそ、本質がある。
入り続ける情報を注意深く見れば、隠され続けた情報が見えてくる。
みんな、自分自身をどうか、上手に占ってやってくれ。
相変わらず、カードは警告し続けている。
神様を信じないおれにも、それだけは確実にわかる。
※追記※
で、あとは相変わらずカードが伝える中に、「地震、海(大きな湖)」というキーワードがちらほら出ている。
少し深く洞察してみたのだが、おれの体調もあるのかこれ以上の洞察はしばらく無理みたい。左肩をキュー、っと刺すような痛みが続いている。
おれも今は身体を壊すわけには行かないので、少しずつ掘り下げながら見ていくことにしようと思う。