一度覚えたインスタントな贅沢は、なかなか捨てられない。
なんというか、贅沢を知る度に、自分の中のいろいろなものを人質に取られているんだろうな本当は。
街を歩けば、幹線道路では黒塗りのドイツ車が軽トラックを煽り、カードローンの立て看板が電柱のふもとで腐りながら風にうなっている。パチンコ屋の自動ドアが通りすがりにだらしなく開いて、無秩序なBGMで我に返って、ちょっと早足になってみたりする。
たぶん怖いのだ、おれは。
足りなくなった感性や想像力を埋めるために、報道番組や新聞を見て一喜一憂、知ったふりをして今日も一日ご苦労様。冗談みたい。
この国が狂っているように、たぶんおれたちも相当にアタマをヤられているに違いない。
描けば描くほど、ほんとはみんな好きなだけ自由になれるのにねぇ。
誰かが切って張って昨日か一昨日辺りに作った危うい価値観に、自ら縛られてみたりする。
忌わしきを鏡に。
おれの目に映るのは、いつだっておれだ。
慎ましい、という生き方が怖い。
原始を思い出しつつ、前に進む方法が解らないから。
でも忌わしい生き方は、もっと怖い。
取られた人質を、ひとつずつ取り返していこう、と思った。
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