「神様」って表現は嫌い。
まるでさも立派な佇まいで、弱き助け悪しきをくじくような、そんな都合のいい存在を指しているようで。
神様。
それは、絶対的な仕組みや真理を言うのだと思う。手を合わせる対象でもなければ、恐れおののくものでもない。
おれたちの生活や感性に、実はいつでもぴったりとくっついていて、おれたちを自然な形に導いたり当てはめてくれたりするもの。
おれは、それを「神様」と言っている。
占いの仕事をしていると、その「神様」の中に究極的にシンプルな仕組みや理屈を見出したり、点と点がふいに結ばれ始めたり、なんとも不思議な気持ちを味わうことが多い。
インスピレーション、か。
先日、タロットカードに詳しいお客さんに、「なぜ数枚のタロットから地震のことや社会のこと、方角や時間などが読み取れるのか」と尋ねられた。
うぅん、相変わらずそこはうまく表現できなかったのだけれど、今考えてみれば「それが一番シンプルな理屈だから」と答えればよかったのかな。
フィーリングからフィーリングへと意識を飛び移らせて、堪えきれなくなったところで言葉にする。
フィーリングは、いうなれば「神様」が直接的におれたちに与える感性だ。
それを言葉にして伝えるとき、少なくともその「神様の感性」が人間のちっぽけな洞察や希望的観測などのフィルターを通すことになる。
だから人間以外の動物は、複雑な言語を持たない。
「神様の感性」そのものを使って生きているからだ。
かたや人間は、「神様の感性」と「人間の感性」をうまく使い、バランスよく生きるように使命を与えられているのだと思う。自然の力や原子の力を少しだけ借りることが許されているのは、そういう使命を与えられているからなのだろう。
なんで急にそんなオカルトチックなことを言い出したのかと言うと・・・
それが一番シンプルな理屈だから、だ。
おれは今夜もぐらぐら揺れる日本列島に腰を下ろして、悩み続けている。
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