30才を目の前に、ひとつささやかな夢を見ている。
来年あたり、千葉県の房総半島にでも引っ越そうかなぁ、と。
近頃めっきり海が足りない。
都会を歩いていると、以前にも増して目眩や吐き気に襲われる事がある。
渋谷新宿池袋六本木。
かと言って、べつにこんな自分を残念な目で見ているわけでもなく、「おぉ、おれの体と心は正常に物事を分別できているなぁ」なんて思ってしまったりしまわなかったり。
内房の海っ端に小さい平屋でも借りてだな
そこそこに仕事をしながら創作活動に打ち込みつつ、風が穏やかな朝には浜辺に釣竿持ってスーパーカブでつりに行くのさね。
正直、都会はキツい。
選べるものがあまりにも多すぎて、毎日のように目が回ってしまう。
東京生まれ東京育ちのおれには愛する地元の悪口は言えそうにも無い。
東京はすごい街だ。
人が一杯いて、いろんな文化が入ってきて、やろうと思えばそれとなく何でも出来てしまう。
おれの生まれ育った深川には、心優しい貧乏人達が開発の進む湾岸エリアをなんともいえない顔で見つめ続けている。
もうそれは、かわいいくらいのアンバランスで滑稽な顔で。
別に何にアンチを訴えかけるわけでもない。
おれに必要なものが、海から吹く温かい風だったり、防砂林の裏に見える国道だったり、バカみたいに厚着をして出かける真冬のアイナメ釣りだったりするだけだ。
弾き語りでの活動のペースを、一度抑えようかと思っている。
ガットギター指弾きスタイルという事で活動してきたが、それゆえ右手を酷使する事が多く、このまま使い続ければ持病になってしまった腱鞘炎のリハビリもままならない・・・。
まぁ、バンド活動にも復活したことだし、ここはいい機会ではなかろうか、と。
そしてやっぱり、東京の呪縛をひしひしと感じているこの頃です。
同じ位置で活動してきたアーティストたちは次々に地元へ帰っていきます。
もともと地元が東京のおれみたいなアーティストは、ほんとに恵まれてるんだろうなぁ。
しかしながらその環境に甘えてしまう自分もいます。
まったくもう。
~~~~~~~~
仲のイイ友達と、釣りに行く約束をした。
なんて絶妙なタイミング。
ここ最近のおれのヘタレ具合を知ってか知らずか、近頃は友達に誘われたり突然地方の友達が東京を訪れてくれたり。
今回の釣りの話だって、とてもいいタイミングだ。
大好きな友達と、大好きな釣りを一日中。
これを幸福と言わないでどうする。
そー。ひとつ個人的な話を。
山口で歌ってるヒロへ。
今年こそそっちに行くからな。
久々に君のようなアーティストと話が出来ると思うと、今からわくわくして仕方ない。
君のようなアーティストを生み出した土地を、一度見てみたいのだ。
トランジスタラジオ
東京で歌ってもいいかなぁ・・・?笑
スーパーカブが欲しいのである。
世界のHONDA。
今やこの国で「世界の…」と言ったらナベアツなのだが、おれに言わせればそんな馬鹿げた話は無い。
世界の…と言えば、HONDAなのだ。
その証拠に、おれの携帯で「ほんだ」と入力すると、変換候補の2番目くらいに「HONDA」と出てくる。
2番目だぜ?2番目。
ナベアツなんて、変換機能に任せたら
「鍋圧」だもんな。
レベルが違ぇ。
ベトナム行ったら、バイクはみんな「HONDA」って呼ばれてるからな。
「おれのHONDAはSUZUKIだぜ」って、どういうことだよオイ。
あ、ってか「SUZUKI」も変換できるじゃん。
じゃあついでに…
「YAMAHA」
あ、できた。
「Kawasaki」
おぉっ、Kawasakiまで!!
なんか嬉しくなってきたな。
でもいくら携帯で簡単に変換できようとも、やっぱりおれにとって「世界の…」とい言えば、「HONDA」なんだよな。
人間同士の出会いを「必然だ」と言ってしまえるほどおれには大した哲学も人生経験も無い。
友達との出会いは、何か日常の必須条件を遥かに越えたような、そんな条件の下で生まれるのだ。
分かりやすく言ってしまえば、それは奇跡。
いやぁ、相変わらずおれもロマンチストだなぁ。。
おれには得体の知れないとてつもなくでっかい力を持った友達がいる。
その力は、何をなし得るためのものではなく、日々を誰よりも正直に悩み、生きようとする力だ。
当たり前に過ごしてしまいがちな日々を、ふと立ち止まって考える事ができるという
そういう力だ。
エネルギーは、伝染する。
友達と会い語り合った帰り道、あの何より軽やかな自分の足がその証明だ。
美しい友達よ、いつも力をありがとう。
あなたのおかげです。
あなたのおかげで、悲しみが言葉や形になってしまうギリギリ一歩手前に、おれは立ち上がる事ができる。
あなたはおれの、自慢の友達なのです。
自分の音源を、どうにかネット上で試聴&販売できないものかと。
例えばダウンロードページにパスワードを設定して、そのパスワードを購入してもらう形にするとか。。
模索中です。
もちろんそれと並行して、手持ちの録音環境も早急に整えなくてはならなかったり、言わずもがな、バンド活動も含めたライブ活動を定期的にやらなくてはならない。
とにかく、ネット関連の知識をもっともっと手に入れなければならないのは確かなんだなぁ。
音楽活動ってのは、手間を掛けてナンボだ。それも演奏とはかけ離れた部分での手間。
おれ自身、権利会社やレーベル、いわゆる既存のマーケットに対してのアンチテーゼの塊のような人間なんで、まぁこういった活動も「自己表現」のひとつとして考えよう。
~~~~~~~~
ここ最近、東京の港湾部が水温16℃を切ることが多い。
素人的憶測で非常に恐れ多いのだが、湾内に生息する魚の活動が活発になる水温ってのが、どうやら16℃前後なのではなかろうか、と。
釣りのほうはもう少し、時機を見たほうが良さそうだ。まぁ、釣れない釣りの中にも新たな発見があるのは確かなことなのだが。
海洋の根本的なシステムというものが、一昔前に比べてだいぶ変わってきているような気がする。
それも急激に。
それは世間で騒がれている「環境破壊」や「エコ」なんて発想とはまた全然別の位置での変化。
言うなれば、「自然の意思」によるものか。
長年釣りに勤しんでいる身としては、それを強く感じずにはいられないのだ。
地球がひとつの生命体だとするならば、恐らく海は地球の大動脈のようなものなのだろう。
そして森林や山はきっと皮膚のようなものだ。
加えて言えば、おれたち生物はさしずめ「菌」や「ウィルス」といったところか。
例えばメディアで騒がれているような環境汚染や破壊が真実だとしたら、おれたち人間はただの悪玉菌でしかないわけだ。
なるほど。
物事ってのは、常に「循環」をしようとする。
エネルギーであれ、そこに携わるものたちの意識であれ。
どんなに小さな出来事でさえ、この世の全ての事象や仕組みを一回りして結果が現れるのだと思う。
一部の人間に限っては、それを「霊魂」だの「神様」だの「宇宙の法則」だの、おれたちの考えが到底及ばないようなことを引き合いに出して語りたがるのだけれど。
そんなことを仰々しく語らずとも、簡単なことじゃぁないっすか。
自然との対話を根気良く続けることで見えてくる、その「循環」のシステム。
人間社会も、そのほかの動物社会も、すべてはその「循環」の中からは逃れられないものなのだ。
答えはいつだってその線上にあるのだ。
母の日が近づいているのである。
今回はきちんと贈り物をしよう。花とか食器とか。
まぁ元来、「母の日」なんてものが無くても、日ごろの感謝を誕生日や両親の結婚記念日なんかに伝えてみせるのがいいんだろうけどね。
「母の日」なんてのに騒いでいるうちは、本当の感謝にはまだまだ届かないのではないかな、なんて思ったりして。
~~~~~~
新曲が出来たのである。
ストーンズを聴きながら眠ったその翌朝、起き抜けのテンションのままぼんやりとギターを弾いていたらあっさりと曲が出来てしまった。
こんな感じで出来上がる曲は、いつだって「名曲」が多い。
いつもそうだ。
以前にも増して音楽業界やそのシステム、マーケットに不信感が募っているおれだが、まぁこの創造欲というかひらめきと自分の気持ちが絡み合うそのタイミングだけはまだまだ疑ったことがない。
うん、いい感じだ。
内容はと言えば、まぁこんなもん活字で説明するのもいささかナンセンスかもしれないのだが・・・
暇なんで書かせてくれ。
今回の曲は「正しい悪意」についての曲。
死んだフリを続ける男の、「生きてるフリよりマシだろ?」という悲しい開き直り。
世間はいとも簡単に悪だとか正義だとかを口にするけれど、そんなことはそれほど重要なことではないのだと思う。
ある絶望に打ちのめされてしまった人間が、自分自身を救うために信じたのが、いわゆる世間一般の「悪意」や「卑屈さ」だったとしたら・・・。
そして彼の心が、これまたかなりの正論を携えているとしたら・・・。
人間の衝動においてのみ言ってしまえば、「正義」だけが「正しい」ものではないのだろう。
そんなときおれたちは一体、彼のどこを責める事ができるのだろう。
そういう歌です。
長々と語ってしまったが、曲は4分少々で終わるのでご安心を(笑)
一本向こうの国道で暴走族の走る音。
騒がしい夜ですなぁ。
深夜だってのにタバコ切れでぃ。
さてさて、明けて本日の午後からは、ビアガーデンでちょっとした小遣い稼ぎをして参ります。
まぁ、要するにウェイターなんだが、実はそこでライブが出来ないものかと企んでいたりいなかったり。
次の仕事がおそらく来週くらいには始まるので、それまでになんとかライブができるコネクションを整えておこうかな、と。
夏はね、やっぱり野外で歌うのがいいんです。
汗だくで。いや冬も割りと汗だくなのだけれど。
~~~~~~~
近頃おれの周りには、「自分病んでます」的なことを平気で言う奴が多い。
まぁ、そんなもの自分の尺度で考えればいいわけなのだが、話を聞いてるおれからしてみれば、そんなもんはほとんどが「病んでる」内に入らないのも率直な感想なワケで。
こじらせるのは良くないけどね。
多少の強がりがあって初めて、カッコがつくもんだと思うよえぇ。
心の問題とか病気ってのはとてもデリケートなものだけれど、いわゆる今日のなんて言うんですかアレ、例えば男女平等とかそういうの。なんとかイズム。よくわかんねぇけど。
まぁ、そういう位置で話はしてはいけないよね。
やれ、競争社会のせいだとか
やれ、格差社会のせいだとか。
そこにめげずにギリギリのトコロでなんとかこらえ続けているおれたちみたいな痩せ我慢の極み的人種には、社会は恐らく目をむけたりはしないんだな。これからも。
ネット難民??
やらせておけばいい。
プチ鬱??
ふざけんな。
海も山も風も土も信じられないで、何を言う。
たかだか人間ごときが作り出したシステムの中で、心の矯正を図ろうとするから矛盾が出てくるんだ。
人間は動物だ。
人間で在れ他の動物で在れ根本は、常に自然が支配しているのだ。
メディア的な視点
政治的な視点
そんなものに騙されるな。
循環するエネルギーのみを信じるのだ。
それにしてもタバコが無ぇ。
あぃ。Hendrixです。
更新をかなりの間サボっていたもんで、何から書けばいいやら何も書かなくていい気がしてるやら・・・。
ゴールデンウィークなんていうこれまたおれみたいな五流ミュージシャンには毛頭関係ないようなお祭りみたいな一週間。
えぇえぇ、私は相も変わらず苦手な楽譜をしこしこと書き上げながら、ギター弾いてはタバコ吸って珈琲飲んでまたギター弾いてはタバコ吸って・・・の繰り返しなワケデス。
不毛。
こんなアジアの片隅のカン違い資本主義国からロケットみたいに海外に飛び出していってそれでまたロケットみたいに帰ってくるという。
バケーション、イェ。
ハワイあたりはこの時期、プチジャパン、なのでしょうか。
プチジャパン。
トルシエジャパン。
米無い。じゃ、パン。みたいな。みたいな。
明日はテナガエビでも釣ってきますか。近所の公園で。
ウッドマックを聞いてます。あぁ、久々だなぁ。
この迷いだらけのサウンドがとても好き。
ポップでカントリーでロックな感じ。
でも、何処にも落ち着けずに、それでも作品として表現する事に終始しているこの潔さ。
やりたいことをやりたいだけやろうとする、だけども結局やりきれていないという、その姿勢が美しい。
で、そんなところから生まれる人間の本音や本性は、もっと美しい。
おれはいつでもそこで躊躇してしまう。
「やりたいこと」と、「やるべきこと」のギャップが余りにもありすぎて、仕事も音楽もいつだって突き詰められないまま。
まぁ、そんな生活があるからこその音楽でもあるわけで。
日々の生活の中から紡ぎだすものが出てくれば、それは生活と音楽がしっかりと循環している証拠かもしれないなぁ。
最近、こうして原点に立ち返る事が多いのです。
もともとおれは、友達が欲しくて音楽を始めたんだ。
同じ事を思っていなくてもいいから、感情の出所がおれと一緒なヤツはいないか、と。
学校にいたって、社会に出たって、いつだっておれのでっかい疑問符は頭の上に圧し掛かったまま。
いまだってそうだ。そこだけは何も変わらない。
ロックンロール。
じわっ、と染み出るような熱さを、今は一番信じています。
愛用しているジッポーの火付きが悪い。
異常に悪い。
着火用の紐を引っ張ってみても、オイルをだっくだくに入れてみても、どうにも火付きが悪い。
このままじゃ石が無くなっちゃうよぅ。。
で、ひとつ結論を導き出したのだが、たぶんおれの親指辺りから、恐ろしく不燃性の脂分が分泌されているのではなかろうか、と。
なんかもうそれしか考えられないくらい悪い。火付きが。
まぁそんなことはどうでもいいとして。
先日、自転車のライトを盗まれたのである。
LEDの安いヤツなのだが、無ければ無いで夜道がなんとも不安だったりする。
1200円くらいの後付の安いヤツなんだけどな。
心無い、誰かの悪意を感じ取るにはあまりにも安すぎる。
たったの1200円で他人の悪意を痛いほど想像してしまうおれは、相変わらず弱っちい人間なのだなぁ、と夜道をしゃーこしゃーこと走りながらポツリ。
いつもそうだ。
盗む、って行為は、動機が何であれ悲しすぎる。
他人が持っているものを羨ましい、と感じた瞬間に、もしかしたら得体の知れない何かこう、「悲しみの素」みたいなものが心の中にぽつん、と生まれるのだろう。
おぉ、なんかいい曲が作れそうな気がしてきた。
生活の中で不意に起こるこういうアクシデントの中にこそ、人間が普段口にすることの無いような真実が隠されているのだろうなぁ。