自分の音源を、どうにかネット上で試聴&販売できないものかと。
例えばダウンロードページにパスワードを設定して、そのパスワードを購入してもらう形にするとか。。
模索中です。
もちろんそれと並行して、手持ちの録音環境も早急に整えなくてはならなかったり、言わずもがな、バンド活動も含めたライブ活動を定期的にやらなくてはならない。
とにかく、ネット関連の知識をもっともっと手に入れなければならないのは確かなんだなぁ。
音楽活動ってのは、手間を掛けてナンボだ。それも演奏とはかけ離れた部分での手間。
おれ自身、権利会社やレーベル、いわゆる既存のマーケットに対してのアンチテーゼの塊のような人間なんで、まぁこういった活動も「自己表現」のひとつとして考えよう。
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ここ最近、東京の港湾部が水温16℃を切ることが多い。
素人的憶測で非常に恐れ多いのだが、湾内に生息する魚の活動が活発になる水温ってのが、どうやら16℃前後なのではなかろうか、と。
釣りのほうはもう少し、時機を見たほうが良さそうだ。まぁ、釣れない釣りの中にも新たな発見があるのは確かなことなのだが。
海洋の根本的なシステムというものが、一昔前に比べてだいぶ変わってきているような気がする。
それも急激に。
それは世間で騒がれている「環境破壊」や「エコ」なんて発想とはまた全然別の位置での変化。
言うなれば、「自然の意思」によるものか。
長年釣りに勤しんでいる身としては、それを強く感じずにはいられないのだ。
地球がひとつの生命体だとするならば、恐らく海は地球の大動脈のようなものなのだろう。
そして森林や山はきっと皮膚のようなものだ。
加えて言えば、おれたち生物はさしずめ「菌」や「ウィルス」といったところか。
例えばメディアで騒がれているような環境汚染や破壊が真実だとしたら、おれたち人間はただの悪玉菌でしかないわけだ。
なるほど。
物事ってのは、常に「循環」をしようとする。
エネルギーであれ、そこに携わるものたちの意識であれ。
どんなに小さな出来事でさえ、この世の全ての事象や仕組みを一回りして結果が現れるのだと思う。
一部の人間に限っては、それを「霊魂」だの「神様」だの「宇宙の法則」だの、おれたちの考えが到底及ばないようなことを引き合いに出して語りたがるのだけれど。
そんなことを仰々しく語らずとも、簡単なことじゃぁないっすか。
自然との対話を根気良く続けることで見えてくる、その「循環」のシステム。
人間社会も、そのほかの動物社会も、すべてはその「循環」の中からは逃れられないものなのだ。
答えはいつだってその線上にあるのだ。
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