思い出とは、ある意味「余韻」なのではないか、と。
例えば大きな鐘のを叩いた後の「・・・・」という、音とも波動とも空耳とも取れないような、あの余韻。
だから「思い出」ってのは、人間が生きていく上でどうしても心地よく感じてしまう「・・・・」という心の間のことではないだろうか。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
ふとした拍子で、ぶわぁぁぁっ、と溢れてくる思い出。
きっと何日かしたら、またすぐに脳ミソの奥の方に引っ込んでしまうような、そんな思い出。
今日、ガソリンが切れてしまったのかなんなのか分からんが、都会の真ん中、バイクを汗だくで押して歩く少年を見かけた。
少年・・・年のころはたぶん19、20歳くらいか。
少年ではないかな。
そう確か、おれが始めてバイクを買ったその月に、こっぴどいガス欠を経験したんだっけな。
あれは確か真夏の渋谷のスクランブル交差点近く。
後ろに女の子を乗せてたもんだから、舞い上がっていたんだなぁ、きっと。
都会の真ん中ってのは、意外にガソリンスタンドが無いんだよな。
おれ以上に凹み始めた彼女に、「電車で帰れ」というおれ。
その案を頑なに拒み、歩いてくっついてくる彼女。
ふとした風景の中に、かつての自分の残像を見つけてしまうってことは・・・
おれ、いよいよ年を取ったのかなぁ。。
夏が近い。
バイクもいいね。
(写真はかつておれの財布を十二分に苦しめた愛車、ロイヤルエンフィールド)
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