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Yo-Hendrix【まさにそれは】

歌わなければ只の人。

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リハビリっぽい何か。

釣りに行った。

腰の具合もほとんど心配は要らないようだ。

ムリをすると、左足のビリビリが出始めるけれど。


結果から言えば、まぁ、釣れなかったんだな。いつもと同じに。


ただ、潮が満ちるときのざわざわした感じとか、月の光とか、なまめかしく光る金星とか。

再びそいつらに触れ合えたのが何より嬉しい。

つくづく、おれってなんてラッキーなんだろう、と思う。


日常に救いがあることに気が付いたおれは、その日から、ある意味「無敵」になったのだ。

傷だなんだと騒いでいるうちは、どうにかすりゃ治るんだ。

折れて千切れてしまったものは取り戻せないにしても、ね。

おれの傷は、半月の闇夜を仰ぐだけで、綺麗さっぱりになくなってしまった。

相変わらず、もりもりと馬力の出るような勇気は見当たらないのだけど、まぁ何より「人生ってちょろいぜ」っていう心意気が思い出せたことが幸運なんだろう。

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往生。

なんだか最近、音楽の事をめっきり考えなくなってしまった気がする。

占いの依頼が急激に増え始めたのもあるし、相変わらずの椎間板ヘルニアがくすぶっているのもあるし、あとここ一ヶ月ほど無職なのもあるし。

べらんめぇ。

今月初め、レコーディング用にあつらえてもらったジェルネイルが全滅した。

新しく着いた仕事先での出来事だ(しつこいようだが今は無職だ)。

ヘルニアにならなくても、もしかした辞めてたのかもしれないな。仕事。


爪と一緒に、あっけなく剥がれ落ちてしまった勇気。

まだ、取り戻せないでいる。


ふと、手に取るカードは「奇術師」。

自分のことをリーディングしていると、必ずこいつが出てくる。

君の伝えたい事は、なんとなくわかる。

だけどごめんよ、おれには今、肝心の「勇気」がひとつも見当たらないんだ。

これも私です。

どうでしょう。

Yo-Hendrixの、アンダーグラウンド其の壱。

Hendrix【言の葉】

へっへっへ。

はぁぁぁぁぁぁ。

解雇です。解雇。
というかもう、「開放」に近いニュアンスですかねえぇ。

ヘルニア悪化のため、もう何かにつかまっていないと歩けない、といった症状が二週間以上続き・・・
とりあえずの落ち着きは見せ始めたものの、恐らくかなり長い時間を掛けないと元の身体には戻らないみたいです。。

で、もうここ一ヶ月くらい安静、静養、ということで部屋にこもりっ放しなワケだが、どうやらこれはただの休養ではなかったらしく。

この一ヶ月。自分でも目を疑うくらいの出会いや縁に、今はただただ圧倒されています。

人生って面白い。

ふとしたきっかけで、まるで覚醒したかのごとく考え方が変わってしまう。


何の事かというと・・・

ある晩、夢を見た。
机の上でカードをめくりながら、知らない人と談笑をしている夢を。
それだけならなんの変哲も無い夢、で終わったはず。

しかし、そのめくっていたカードがどうも気になっていたのだ。なんか引っかかるなぁ、と。

赤と白のローブを纏った、若い男性の誇らしげな表情。
カードの内容が頭から離れなかった数ヶ月。

で、そんなことも忘れかけていたある日、ふとしたきっかけで某ネットショッピングサイトであるものを見つける。

タロットカード。

その中の一枚、「奇術師」というカードに、なにやらおれは見覚えがあるらしく・・・

「・・・んぁぁぁ!!!!あの!!夢のっっっ!!んおぉぉぉっっ!!」

ということで、その場でポチってしまいました。

宗教とか占いとか、そんなもの大嫌いだったのだけど。(宗教は今でも嫌いだ。というか、おれには必要ない)


今じゃ底知れぬ力に駆り立てられて、精神世界に関する猛勉強の毎日が続いております。

まだまだ誰かをリーディングして導けるような、そんなテクニックは皆無に近いのだけれども・・・

ただ、縁あって見させていただいた大勢の方々の心を煩わせているその状況は、こちらの経験値とはあまり関係が無いようで・・・そんな状況を見せられてしまうと、こちらとしても経験の浅さに恐れおののいて核心を見失うのが非常に悔しいのであります。

要するに、縁あって出会ったからには、なにかおれの中から持ち帰ってその人の役に立つもの、ってのがあるはずなんです。

それは果たして何なのか、ということを深く追求していく。
それがおれの今現在のリーディングスタイルです。まだまだできることは増えていくのだろうけれど。

そしてまず、訪れてくれた人の心に、「嘘偽り無くアクセスします」という気持ちを込めて、「当てる」のです。

占いに関して言えば、「当たるか当たらないか」は、その人のターニングポイントのいわば入り口でしかないように思えます。

宿命や運命なんて、そんなもん知ったところでどうなる。

そんなもん知ったところで、明日明後日は変わらない。

明日明後日を変えたければ、今を知ることなのだ。


今、自分自身がどんな状況にいて、どんな力を秘めているのか。

明日を確実にコントロールできる力を思い出すこと。そしておれはそのお膳立てをいかに分かりやすくしてあげられるか。

おれの新しい仕事。

もしかしたら、本来おれがしなきゃならなかったのはこういう事だったのかもしれない。

あいやー。

Yo-Hendrixが、なんとまぁ、就職するという。

それも営業職。まぁ、営業は割と得意だから嬉しいんですけどね。

で、問題といえば一ヶ月くらい前から大暴れし始めている椎間板ヘルニア。

なんとか鍼打ったりして凌ぐしかなさそうですなぁ。。


ライブ活動はといえば、ペースは落としざるを得ないものの、なんとか月イチくらいで出来そうです。

まぁ、就職が決まったからといって浮かれているわけにもいかないらしく、いろいろと自分の時間配分とか生活のバランスを冷静に考えなくてはいけないのですね。えぇ。


就職して金貯めて、バイクとギター買って旅にでも出てやろうかと思います。

曖昧。

感性ってのは時として、いや、例外なく、自分の抱えている倫理観や常識なんかをあっけなく逆流するものなのだろう。

人間の本質が、その「感性」にあるのだとしたら、人間そのものってのは、常識や倫理の枠を一切取り払って初めて確かなものになる、ってことか。

創作活動をしていて、なんとなくそう思うことがある。

今までまったく形の無かったものを、時間をいくらか掛けて「楽曲」ってものにする。

それって、とってもシンプルで分かりやすい人間のクリエイティブな活動なわけだけれども。
どうもそこに生きていく上での、それはそれは大変な問題があるらしい。

理屈が無いんだ、そこに。
道理や決まった作法、方法なんてものが、一切無い。

「常識」とか「正義」とか、そういう常日頃信じきっているハズのものをあっさりと逆を行く、あいや、飛び越えてしまうものなんだ。

誰かのためとか、どういう目的でとか、そういうものが一切無い。

いつだって、曖昧なのだ。


でも、なんとなく、だけど確かにあるその「曖昧な部分」を信じてみることが、自分自身の本質に近づく第一歩なのかもしれないな、と思う。


そこにたしかにある、絶対的な「何か」に近づくためには、一度でもその「曖昧」を信じてみることが必要なのだ。

きっといつだっておれたちを突き動かすのは、簡潔な理屈なんかじゃなく、なんとなくだけど確かに頷けるような、そんな「納得」なのだ。

ライブだよ。

えっと、まじめにライブの宣伝。


2月24日(水) 高田馬場天窓
出順不明 チケット ¥1000(ドリンクチャージ別)

http://www.otonami.com/tenmado/map/index.htm
新宿区高田馬場3-4-11 BabaHach3F

新曲の仕込みもバッチリです。
よろしく。

肩の力。

ずぅぅっと考えている。

会社の後輩に、「Hendrixさん、肩の力の抜き方を教えてください・・・」って、まじめな顔で質問されてしまったのである。

なんというか、普通に失礼な質問なわけであって。

で、その質問の後すぐに、彼は詳細不明の長期休暇に突然入ったわけだが。

その質問を家に持ち帰って、しばらくおれなりに考えてみたものの、彼に応えてあげられるような明確な答えは出ず、いやぁ、そろそろおれまで悩み始めてきたじゃないか。


ただひとつ言えることといえば、自分の過剰な力加減に気が付いてしまったときってのは、そりゃぁもう自分自身が窮屈でたまらくてどうしようもなくなってしまっているときでもあるのだろう。

時には苦しくて、死にたくなってくる。

ただ、得てしてそういう時は、昨日までの自分が薄皮一枚くらいになっていて、なんかの衝撃やきっかけで、その薄くて頼りない皮膚が、ずるりと一瞬で剥けてしまう時でもある気がするのだ。

変わるから痛いのか。

痛いから、変わらなくちゃいけないのか。

果たしてどちらが先に来る話なのかはよく分からないが、とにかく痛かったり窮屈だったり、それが明らかに自分自身のせいだ、って感じたときはもうこれとないチャンスなのではないかと。


おれ自身、自分の感性がたったの数時間でぐるりと変わってしまった経験が無いわけでもない。

手足が千切れるくらい、ずぅぅぅぅっともがき続けていたある日、ちょっとした出会いや、風景を見て、とたんになんだか身体が軽くなっていくというか、昨日までの事が全部バカバカしくなってくるというか。

理屈とかはよく分からないけど、ある日を境に急に視界がクリアになる感じ。

なんだかうまく言えないけど。


とにかくね、人は変われるんだと思う。
年齢とか経験とか、そういう面倒な話は関係なく、ただ単になんとなく「変わりたい」と思ったときがチャンスなのだ。

おれは、そう思う。
 

なんとも。

どうやら体調を崩してます。おぇぇ。


なんだかバンドは上手く機能してないし、金も出さねぇで文句言うやつはいるし相変わらずケツは痛ぇしでなんというか、あれだ、イマイチなんだとにかく。

でもこれといって気にならないのはなぜだ。
重症なのか、おれは。


ということで、作品をチラ見せ。


「トランクス」
下着もはいてない まだシャワーも浴びていない
伝えたい事など もうしばらく何にもない
コーヒーも淹れない 洗濯機も回してない
テレビも見ていない そんなものはハナからない

相変わらず 空は青いだろう
君は綺麗だろう それとない夢も きっと尽きやしないだろう

下着をはいたら ちょっとシャワーを浴びたら
コーヒーを淹れて ギターでも弾いてみるさ

だれにも伝えない 優しいあの娘にさえも
独り占めにしたい そんな気持ちもあるのさ

相変わらず 誰かが泣くだろう
幸せの数だけ 涙があるだろう きっと変わりはしないだろう 

重ねたグラスが キッチンで崩れ落ちて
ぼくはようやっと 目を覚まし窓を開ける

下着をはいたら ちょっとシャワーを浴びたら
コーヒーを淹れて ギターでも弾いてみるさ

尻の話とか。

昨日、内視鏡を入れられた。

結局おれの症状は痔ではないらしく、肝心の出血や腫瘍は見当たらず。ひとつ原因らしいものといえば、前立腺が少し腫れている、ということくらいらしい。

先生曰く、たぶん自転車のせいだ、と。

次のライブのMCでのネタを手に入れた、と意気揚々としていたところ。むぅ。

綺麗な看護婦さんの前で尻まで出したんだ。タダでは帰らんぞぅ・・・なんて。


最近、人生の目的ってのは、「どうでもよくなる」という事に尽きるなぁ、と思う。

誰かの在り方や、言動なんてものは、そうだどうでもいいのだ。本来は。

尊重さえできれば、遠ざける必要も踏み入れる必要も無い。それぞれが、それぞれの領域でせいいっぱい生きてみればいいのだ。

おれは、戦わずして勝つ方法をずぅぅっと探している。

何だか最近、でっかいヒントを得たような気がする。

そうか、どうでもいいのだ。

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プロフィール

HN:
Yo-Hendrix
年齢:
43
性別:
男性
誕生日:
1980/04/28
職業:
占い師
趣味:
生きること
自己紹介:
格好のイイことは、格好のイイ奴らに任せる主義。
将来は遊牧民か漁師か、それでもなければコーヒーを淹れるのが異常に上手いおっさんになりたい。

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