はいはーい。
ワンマンライブのお知らせです。今年も思うまま、思う限り、喋ります歌いまーす、っと。
10月12日(月、祝)
蕎麦処 根津鷹匠
開場19:00 開演19:30
チケット¥1000ぽっきりとこれまた素晴らしいお値段。
なんというか、この期に及んでワンマンのお呼びが掛かるということに改めて感動。感謝。
必要とされる場所に、必要とされるときに、そこに自分がいられるということは、なんて幸せなことなんだろうかと思う。
別にいなくてもいいんだけれど、なんとなく、いてくれたほうがいいんだよなぁ、と思われる人になりたい。
寿司で言うところの、ガリ。あぁ、まぁ基本どうでもいい人で構わないんですがね。
宣伝はさておき、ここ最近の話を。
上司と喧嘩をした。
「あんたの言葉はいつもモチベーションが下がる」というおれと、「おれにモチベーションを上げてもらうなんて、甘い」という上司。
基本的に話の根源がずれていそうなので、喧嘩は止めた。すぐに止めた。
おれは小さいやつが大きなフリをしているのが嫌いだ。
初めから終りまで小さなヤツも同じくらい嫌いだ。
自分がどうかなんてこの際置いといて、とにかく嫌いなものは嫌いなんだから仕方無ェ。ちくしょう、お前らなんて歌にしてやる。
ものすごい巧妙なカラクリに気がついたものの、おれにはどうやら適当な工具が見当たらない。
ネジ一本で、いとも簡単に解体できそうなそんなクソ下らない仕掛け。
でもおれのマイナスドライバーは、あまりにも小さくてナマクラだ。
柔らかいトコを突っつくだけしか能のない、それはそれは安っぽい工具。
憂鬱な夜に限って、饒舌になるのは何故だ。
人間。
まっとうなものを語り、作り、さもありなんとする、それが仕事。
人間であるぼくには、政治の話が似合う。
人間であるぼくには、スポーツの話が似合う。
旅行の話と、新しく発売された車の話が似合う。
理解の仕方は、妥協の仕方のそれと、おかしな程に似ているときがある。
誰もがふと思うことを、誰もが朝のホームに置き去りにして、結局誰もが拾えずに帰路につく。
傾げた首でそのまま振り返ると、街が真っ直ぐに見えるときがある。
ぼくの職業は人間。
目に見える営みを、目に見える形に紡いでいく。
見えないものには触れてはいけない。
なぜなら目に見えないから。
ぼくの仕事は、まぁそんなところだ。
またもや減薬に失敗。
一週間乗り越えたところで、突如頭の中で砂をかき混ぜられているような、あの忌々しい不快な頭痛に見舞われる。
病気なのかヤク中なのか、もうどっちでもいいから早く楽になりてぇ。
病名なんてどうでもいい。
自分には程遠い世界だと思っていた精神疾患が、こんなにも身近で、こんなにも手強いものだとは思わなかった。きっと患った人の大半が、そういうふうに思っているんじゃなかろうか。
最近、独りになりたい、と思うことが良くある。
放っておいてもらいたい、のではなくて、ただそこに、ぽつん、と佇んでいたい、と思うのだ。
それは願望といえるほど強い思いではないのだけれど、誰かと触れ合っているときにふと、「あぁ、この問いかけに何も答えないで済むにはどうしたいいんだろう」と思うことから始まり、「そうか、独りならいいんだ」と自己解決に行き着くのです。
今まで当たり前のように楽しんでいたものとか、慣れ親しんでいたものに、ある日突然、猛烈な違和感や疑問を覚え始める。
それはいわば、ある意味で境地に踏み込んでいる最中なのかもしれないのだけれど、もしも選べたとしたら、おれはずぅぅぅっとただのバカでいたかった。楽に越したことはないんだ。悟りなんていらない。
明日もいらない。約束もいらない。
ただ、30分や1時間先辺りを、ことごとくカッコよく決めていけるような、そんな躍動感が欲しい。
それは甚だ贅沢な話か。
とある人達と、真夜中の浅草で出会った。
再び、というか、始めまして、というか。
なんだろう、この不思議な感覚。
何かの反動みたいに、唐突に弾け飛ぶような楽しい夜。
退屈は、いつだってこんな夜のための伏線に過ぎないのだ。
浅草の夜空が意外なほど綺麗で、そりゃぁもう、うっとりするのなんのって。
こんな夜には、ラムコークの一杯ぐらい煽ってみてもいいじゃない。
夜明けに思ったことを。
無敵、ってのは、強いことを言うのではないなぁ、と。
もしかしたら、究極に優しいヤツのことを差す言葉ではないか、と。
だって、優しいヤツは、追われもしなければ襲われもしない。
立ちはだかる何かを体よくあしらって、ほら、敵などハナから誰もいないじゃないか、と。
そうだ浅草の旅人たちは、おそらく無敵。
良い夜をありがとう。
あなたたちの優しさを、妙に引きずってしまっているおれです。
会いたい人には会いたいときに会っておくのが、人生を旨く味わうコツなんだなぁ。
悩んでるヤツに、「大丈夫だ、心配ない」と言える大きな心を。
何故大丈夫かって、そりゃぁ、おれもお前と同じくらい悩んでるからだ、って言える正直さを。
昨日から右の手の平に刺さっていた棘が、今日の会社の帰りになぜだか無くなっていた。
大事なのは、思い出さないようにする苦悩ではなく、やんわりと忘れてしまえるような、そんなアタマの悪さなんだろう。
涙の数だけ強くなれるような、そんな難しい話ではなく、強くなる必要も、弱さを自己嫌悪する必要も、そうだ初めっからそんなモンは無かったのだ。
助言の大半は、たとえ話だもんなぁ、なぁんて。
何も信じないのではなく、他人より何より自分を信じている、ということ。
それが、大きな心。強い心。
自分自身を敵にしないための、賢い心。
おれは自分の曲でもブログの中でも、政治的な発言や表現は避けてきた。
なぜって、どうでもいいからだ。
ただなんかこう、最近妙に違和感がある。
宗教団体を母体にする新党が大手を振って自分の町でギャーギャー騒いでるのとか見るとね。
かつて先人たちがこの国のために、未熟なクソ国民のために、未来を必死で先読みして説いた「政治宗教の分離」という哲学。
あれはただのちっぽけなルールじゃなくて、立派な哲学だ。
無宗教の素敵なところは、自分が自分以外の何物でもない、と悟れるところなんだと思う。
「無宗教」という宗教が、人々を「無関心」に導いていることは否めないのだけれど。
冷静と無関心は違う。
怒るのではなく、戦うのではなく、見据えること。
冷静に、計ること。一年後を常に見据え、計るのだ。
それを死ぬまで続けていれば、人生はいとも簡単に成り立つはずなのだ。
人の在り方と、国の在り方が肩を並べなければ、民主主義や平等なんて、ただのクソ理論だ。
右とか左とか、そんな下らん線引きをしないと国を語れないヤツなんかは論外。
神様とか法力とか、国創りにそんなものを引き合いに出すヤツは日曜日の市営広場で手品でもやってろ。縦縞のハンカチを横縞にするくらいなら、君たちにも出来るだろう。
何でおれがこんなに好き勝手言えるか、って。
そりゃぁ、ロケンローラーだからだ。
専売特許だ。
繰り返すという。定まらないという。
報道は報道で、おれたちの心を意図も簡単に吊るし上げることが出来るという。
ざまぁみろの人たち。うそだろ、の人たち。
マジかよスゲェ、の人たち。
人は形を欲しがる。嘘だろうがクズだろうが、そこに見える、掴める形があればいいのだ。
真実なんて、ホントは誰も欲しがっていない気がする。
おれはテレビを見ない。なぜならアタマが狂ってしまうから。
おれの中では、おれの見て、感じて、溢れたものが全てだ。真実だ。
おれが神様で総理大臣で兵隊で隊長だ。
例外なく、おれもヤク切れ。
病院が地下水漏水のため、緊急工事なんだとか。
一枚の処方箋がないがために、おれは社会のクズみたいな気持ちになる。
みんな、いいかい。
ほんとうはロックンロールに覚醒剤もマリファナも必要無いんだよ。
ロックンロールは、この世で一番弱いヤツの味方なんだからな。
おぉ。
おぉぉぉ。
フジゲンのストラトが欲しい。あの、ガチッ、と、シャキッ、とした音。
シングルコイルのピックアップが、一杯一杯で叫んでいるようなあの鉄弦の歪み。
あぁ参った。
だがしかし、ダンエレクトロのあの貧乏臭い音色から離れられないでいるおれには到底オーバースペックなんだろう。
アイバニーズの職人臭もなんだかんだで大好き。
アイバニーズのセミアコを手に入れて思ったのだが、エレキギターってのは本当はとっても繊細な楽器なんだな。録音したデモを聞いてみると、時々どうやって出したのか自分でもイマイチ思い出せない音なんてのがある。
良い具合にリズムから外れてて、ピックのエッジがミートしてなくて、だけど1小節の中で一番ぶっ飛んでるような、そんな音。
そういうのが意図的に出せるヤツを、「一流」と言うのかなぁ。
届くか、伝わるか、なんてことよりも、こらえきれずに吐き出してしまうようなものが心の中にあるかどうか。
自問自答、真夜中のチョーキング。
あぁ、もう一本エレキがあっても良いなぁ・・・(悪)
吠えたくなるときがある。
叫びたいんじゃなくて、吠えたい。
がおー、って。半裸で。
なんかこう、海とか山とか行くと、無性にそんな気持ちになる。
朝起きたらものすごい毛深くなってたりしても、おれにはなんてことない。
とてもとても足の早い、野犬になりたい。
ようやく昨日、それなりの運動の許可が下りたのでとりあえずこのクソ暑い炎天下の中、我慢できずに一人ツーリング。
有明あたりで、ひどい頭痛に悩まされ始めて、今更ながら帽子をかぶっていない事に気付く。
いかん、こりゃぁおれの負けだ。完敗だ。夏め。
帰ってから、ブレーキのテンション調整と、シリコンオイルを各所にぶちぶちと。
ところでおれのGIOS、スポークが錆びすぎだろ。潮風、恐るべし。
先月の末に全滅させてしまった、右手の爪。
アコギを弾くために伸ばし続けていたのだが、風呂の蓋を持ち上げた瞬間、ベリッ、と逝きました。ベリッ、と。
で、めげずにまたそれから爪を伸ばしていたのだが、ようやく上手い具合に伸び始めたなぁ、思っていた矢先。
ベリッ、とね。今日ね。
ツーリング途中に立ち寄ったフレッシュネスバーガーのドアを開けるときにね、こう、ベリッ、とね。
着け爪、というテもあるのだが、どうもね、買うのが恥ずかしい。
「人の趣味っていろいろありますからね」みたいな感じで、あくまで事務的にレジを打たれて商品を袋に入れられて、「お次お待ちの方どうぞー」って、おれのこのドキドキ感をまるでスルーするかのような店員の割り切り加減が嫌だ。
いや買ったことは無いんだが、そんな予感がするんだ。
絶対そうだ。
また伸ばそ、爪。