「覚えが悪い」ということなんだろう。
「出来が悪い」ということは、きっとそう、単純に「覚えが悪い」ってことなのだ。
働いていると、おれの社会不適応具合が毎日のように身に染みて、痛い。
要するに、「仕事」に興味はあるが、「労働」には微塵も興味が無い。
興味が無い故に、「労働」に関しては向上心も無ければ達成感も無いわけだ。
それでも尚、生活を続けていればバタバタと押し寄せてくる「労働」のそれは、おれにとって拷問のほか何者でもない。
だって生きてる以上、興味の無いことに向上心があるフリをして、達成感があるフリをしなければいけないのだから。
おれじゃなくても成り立つものってのは、ただの「労働」でしかない。
はぁ、どうしたものか。
「仕事」と「労働」の違いは、ある意味「趣味」と「娯楽」に似ているように思う。
誰かが用意した場所で、誰かの考えた仕組みの中、誰かの考えた単価で遊ぶ、ということが「娯楽」。
自分の頭で、目で、耳で探って、その中に自分だけの本当にオリジナルなルールや楽しみを見つけることの出来るもの、それが「趣味」だ。
例えば「ギャンブルが趣味」って言葉をたまに聴くけれど、あれは違うんじゃないかと。
ギャンブルに関して言えば、あれはただの「娯楽」なのだ。
システムや流れは誰かがあらかじめ作っておいて、結果のみを持って帰って頂戴、という。
仕事と労働。
趣味と娯楽。
似ているけれど、その存在意義はまるで違う。
「だからなんなんだ」って話。
でもね、隠されたトリックを人知れず探るのは、ほんとうに面白いことだと思うよ。
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