ここのところ、調子がいい。
だいぶ、いい。
嘆くべくは多々あれど、それでも幸せと言わずにいられないような、そんな瞬間がたくさんありまして。
戦える、ということに、感謝。
そしてそして、拳を振り上げたり声を荒げたりするのだけが戦いではない、と。
そう思う今日この頃であります。
今日、電車の中でこんなことを考えてみた。
勤勉。朝早く起きて遅刻せずに職場に着き、まじめに職務をこなして、自分の我はそこそこに、職場のみんなと足並みをそろえてひとつのことに向かって根気良く頑張る。
汗は労働者の勲章。
なぁなぁ、それって・・・
おれ思うんだけどさ、それはある意味、人を使う側の押し付けた、「労働者の在るべき姿」ではないのかな。。
言うなれば、国や企業を挙げた、緩やかで一方的でとてもスケールのデカイ、洗脳的ななにか。
「真面目」ってのは本来、自分自身に嘘偽りなく対峙する事が出来て、例えば「苦しい」とか「嬉しい」とかをしっかりと心で判断する力を養えて、そしてそれを他人の心に反映して、そこから人に優しくしようとしたり、楽しませたりしたり、そういうことが出来るということを言うんじゃないか、と。
真を語り、見抜く目を手に入れることではないか、と。
おれは思う。断言する。
勤勉、という人間の在り方には、何にも価値は無い。
これっぽっちも。悲しい思いをしないため、させないため、死なないために働くだけだ。
一生掛けて勤勉さを守ることで評価される人生より
一輪の花や、一曲の歌、一瞬の笑顔、一枚の絵画、なんでもないような握手やハグで喜ばれる人生の方が、遥かに価値がある気がする。
目覚めなくてはいけない気がする。
戦わなくてはいけない気がする。
【Yo-Hendrix mixiの日記より転載】
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