目に見えるもの。
それは、「問いかけ」なんだと思う。
ある「もの」や「人」や「出来事」に、時間や距離というヒントが加わることによって、それはそれは壮大な方程式の穴埋め問題となる。
なぜ今それがそこに。なぜ彼が今ここに。なぜ自分が今ここに。
そんな、実にシンプルでストレートな自然からの問いかけ。
答えを導き出さなくたって、きっと問題なく生きていける。
いやぁ、むしろそんなの知らないほうが眠れない夜に襲われずにすむのかもしれない。
ただ、自分の在り方がひとつに定まったときってのは、そりゃぁもう色んな法則に気が付けるわけで。
探らずにはいられないんです。その答えを。
見つけた答えに救われるかなんて知ったことじゃない。
それがひとりにひとつ、間違い無く用意されていると知った以上、手に入れないなんて馬鹿馬鹿しいじゃないか。
何かの裏側に真実がある、ってのは、もう周知の事実だろう。
人生を日記に例えたとしたら、そうだ、句読点を打つのと同じ数だけきっと答えがある。
場面が変わる度に。視点が変わる度に。
その答えを正確に導き出すことが、思い通りに生きていくコツなんだと思う。
この記事にトラックバックする